友達とは、互いに『試さない存在』である。というのを最難関大学の4年生が教えてくれたという話。


先日、幕張メッセで開催していたCEATECに出展している時のこと。

弊社インターン生と出展ブースでお客様とお話をしていて、一瞬人がいなくなったタイミングがありました。彼女はいわゆる日本の最難関大学の4年生。

そんな彼女は、こんなことを言いました。

「そうだ北村さん、『友達ってどんな存在なのか』って、私ずっと最近考えてたんですよ」

と話をしてくれました。


「え、どうして考えてたの?」

と聞くと、

「仲良しがいるんですけど、彼女とは性格も考え方も全然違うんです。真逆のことも多いんです。それでも一緒によくいるんですよ。普通は、同じ感覚があったほうがいいじゃないですか。」

と答えます。


「そっかあ、確かに同じ部分があったほうが良さそうかもね。それについて答えは出たの?」

と聞くと、教えてくれました。

「そうなんです。この間ずっと一緒にいる時にふと気がつきまして。『相手を試すか否か』だと思ったんです。」


「『試す』ってどんなこと?」

そう問うてみたら、なんともハッとすることを彼女は言いました。

「何か相手に質問をして、その答えで相手を優秀か優秀じゃないか、自分と合うか合わないか、そんなことを判断することって、あるかと思うんです。とくに、互いに利害関係が発生しそうになると、しますよね。これは社会人だからじゃなくて、学生だってそういうことってあると思うんです。でも、それって安心できないですよね。心休まらないし、なんだかメリットデメリットで人を判断してる。それって『友達』ではないと思ったんです。」

彼女はこう続けます。

「私、所属する大学の影響なのか、結構試されると感じることが多いんです。『そこの学生なら、これくらいで当然だろう』『その大学なら、こんな人間なのだろうか』って。
でも私、気づいたんです。さっき話した仲良しは、私に対して『試して』こないんです。全てフラットに聞いて、全てフラットに話してくれる。それって、すごいことだなって。それが、友達なんだなって、この前その子と一緒に旅行して話してる時にそう思ったんです。」



実際、『友達』という言葉が何を指しているのかって考えると難しいですよね。
でも、『友達』が自分を鼓舞してくれたり、自分を落ち着かせてくれたり、安心
させてくれる存在であることは確か。
確かに、『試さない』ということが『友達』なのかもしれませんし、『友達』の条件なのかもしれません。


あなたにとって、『友達』はどんな存在ですか?

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