『1人1人が才能開花しながら社会に貢献できる』これが実現しない世界は、ただ罪が重い。



「日曜の夜って、ほんとイヤですよねえ」
「会社って監獄な気もするんです」
「行くことが仕事、席についていることが仕事」
「上司にホンネなんて言えない」
「会社の人にはプライベートなことなんて話せない」
「部下には弱みを見せられない」

この前の慶応で参加した外部講座の参加者たち然り、この前出展したCEATECで出会った方々然り、最近話す大企業に務める友人たち然り、
組織開発の仕事をしていると話すと、現場に近いところで働く人たちはみんなこんなことを言います。


それぞれと話していくと、みんなこぞって、未来に対してこんなことを言います。

「自分には将来なりたいものがない」
「目標を考えるってすごい難しい」
「自分には未来を描く力はない」
「夢だなんて、自分には無縁のものだ」
「このまま、想像できる道を辿って歳を重ねていくんだと思う」


たしかに、みんながみんな独立して起業する、フリーランスになる、世界中どこでも働けるようになる、そんなことなんて難しいですし、全員が今までとまったく異なる道に進むだなんて、とても困難です。
みんながよくメディアに出てくるような華々しいキャリアを描くことも、職に就くことも、人生をおくることも、難しいです。


でも、1人1人自分が一番合うところで、合うもので、好きなところで、好きなもので、才能開花することは可能だと思うんですよね。

実際、上記で語ってくれた人たちに聞いていっても、こんな未来を描いていたりします。

「30歳の時には子供1人欲しいかな」
「いつかイギリスで生活したいと思っていて」
「できれば、実家の広島に帰って仕事をしたくて」
「自分が好きな絵で仕事ができたらいいな」
「できれば子供達にはいろんな人種の子たちがいるところで育ってもらいたい」


これができない社会って、本当に罪だと思っていて。
なんだか、すごくイヤです。そんな世界。


きっと、その未来を実現するための道はいくつもあって、それのどれを選ぶのが正解なのかは分からないけれども、そこに向かっていることがきっと楽しいし、幸せだし、結果そこに到達できたら良いと思うのですよね。

別に、未来なんて人と比べるものでもない。

ただ、そこに欠けてはいけないのは、社会に対して貢献し続けるという観点。
自分だけの楽しく幸せな状態だなんて、長続きしないし、結果そこには利害関係のある関係性しか産まないはず。

『1人1人が才能開花しながら社会に貢献できる』そんな世界が良い。
というか、そんな世界にならないと、ただ苦しむ人が増えるだけ。

そんなの、嫌なんです。



数年ぶりに話した友人との邂逅に際してこんなことを思う、そんな夜。



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