『人を笑顔にする職業です』〜その裏で傷つけられる存在がいてもそれでいいの?〜




いつくらいだろうか。
お笑い芸人のことを、『人を笑顔にする職業』だと言った先生がいた。

確かに、そうだ。
笑うほうが、幸せにある傾向は強いだろう。
実際、人を笑顔にしたり、元気づけたり、勇気づける芸があることも理解している。



ただ、私は『お笑い』というものをまったく見ないし、聞かない。
自分から調べもしないし、普段テレビもほぼ見ないので接触する機会があまりない。

友人から「これ面白いよ!」と言われてみるケースはあるのだが、正直どれもこれも別に面白いと思わない。
ただ、推薦してくれたのだし、私のことを想って紹介してくれているのだから何かしら反応しないと申し訳ない。
だから、笑う。確かに笑う。
けれど、それは別に面白いからではない。ありがとうの笑顔だ。時々、引きつってることもあるかと思うが。


上記で書いたように、全てのお笑いを面白くないと思うわけではないのだと、そう感じる。
けれど、数少ない目にするものの中でそんなものは見つからず、面白いと思うものもないので、私はお笑いに接触することは全くない。


そんな私がなぜお笑いを見ないのか、理由はとくに分かっていなかったのだが、最近かなり話題になった以下の騒動で、ようやく理解した。
この騒動は、皆さんもご存知であろう。

■保毛尾田保毛男騒動、フジテレビが謝罪文【全文】
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/15/homoodahomoo-fujitv_a_23244176/


そうだ、その他者を批判して笑い者にするというのを目にすることが不快すぎるのだ。
言葉を濁さずいうと、本当に吐き気がするレベル。

別にこの騒動だけに限らない。
お笑いの中では、他者の特徴をあげつらい、それをネタにして批判したりバカにしたりするのを、私が稀にお笑いを見るタイミングでひたすら見てきた。
(もちろん、そんな低俗なことはせずにお笑いをやられている方はいる。もちろん、これに該当すると思っているのは一部だ。)

話し方に特徴のある女子高生、電車の中で満員電車に揺られる男性、様々な人が取り上げられ、その特徴を出しては笑われる。
本当に、気持ちが悪い。

しかも、別に有名でない方がやるのではなく、結構有名な方もそんなことをしているケースがあるように私は捉えている。
要するに、他者をバカにすることを楽しむ一般人がそれなりの層、存在しているということだ。

以前のどこかの記事に書いたが、道端で女の子に料理を作ってもらう番組も同じだ。
料理を作れなかった女の子たちの手際や手法を見て、番組内のコメンテーターたちが笑うあの番組。


これはなんなのだろうか。
違和感のあるところを指定して、その違いがおかしいと認定していくあの作業。

表現の自由だとか、そういう風に尖った方が面白いとか、そんな意見もあるのだろう。

けれど、それは完全に強者の理論だ。
それを受ける人たちが何を感じ何を思うのか、想像できないのだろうか。
それとも、人の痛みがわかるのは、痛くなったことがある人だけ、ということだろうか。

なんにせよ、そんな人の痛みが分からない世界は心の底から拒絶したい、私としてそれだけは確かだ。

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