『偏愛』を、愛そう。




多分、これは『偏愛』なのだと。

そう、思うのです。



本日夜、2時間半〜3時間くらいでしょうか。
親友と共に語らっていました。

それは彼女の昔の体験を何度も何度も振り返りながら、本当に好きなことを探していく時間。

仕事柄なのか、もともとの性質なのか、人の好きなものや好きな時間を聞いていくのがぼくは好きなのでして。



そんな時間を過ごした後、渋谷からバスに揺られていると、ふと思いました。


ああ、そうか。

これは『偏愛』なのだと。




『モチベーション革命』

この本の中に、こんな記述があります。


偏愛こそが人間の価値になる

AIによって世の中はいかに変わるか。作業的に、効率的に、合理的に仕事を進めるうえでは、人間はもうロボットには勝てないでしょう。しかし、世界を変えるような新しいサービスや画期的なイノベーションは、1人の人間の偏愛によってしか生まれません。  

これからは、この偏愛こそが人間の価値になる時代です。好きなことをやり続けることこそが最大の競争力となるのです。

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多分、今夜話した内容は彼女にとっての『偏愛』なのでしょうし、おそらくそれ聞いている私自身の感覚も『偏愛』なのでしょう。




ちなみに、そんな『偏愛』に関して、ちょっと面白い本を見つけました。

その名も、『偏愛マップ』。


「偏愛マップ」とは、その名の通り「偏って愛するもの」を一枚の紙に書き込んだマップのことです。「ちょっと好きなものマップ」とは違います。偏愛でなければなりません。人との嬉しい出会い、通じあう楽しみ、いい人間関係というのは、違いの偏愛やクセの結びつきによって起きるからです。偏愛と偏愛の融合、こうした「偏愛劇場」が人間関係の醍醐味ともいえます。

ですから、単にちょっと好きなものマップを作ってみても、一般的になりすぎて「偏愛劇場」にはなりません。浜崎あゆみが流行っている頃には「浜崎あゆみ」と書いてしまうし、森山直太朗が流行っていればそう書いてしまう。

が、何となく流行っているものでは、好きではあるけれど、偏って愛しているとまで言えるでしょうか?自分がホントに好きなものは何か?そういう問いをポジティブに自分
に発してみようというのが、偏愛マップのねらいです。

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誰しもが何かしらの『偏愛』を持っている、この本ではそう書かれています。



おそらく、この『偏愛』があるからこそ苦しむことも多々あるはず。

得てして、人と異なることは排除されがち。


でも、その『偏愛』があるからこそ、前に進めるということもあると思うのです。

そんな『偏愛』をもっともっと外に出せる、そんな世界というのは、なんとも良きものだなあと。

そう、思うのです。



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