『呼吸の"始まり"と"終わり"』から考える、たった1つの言葉に意識を飛ばすことで世界の捉え方が変わるという話。




『呼吸の"始まり"と"終わり"』

今日の私の脳内はこの言葉で80%ほど占められている。


それはどのタイミングなのか。

呼吸を吐ききったタイミングが、"終わり"なのか。
それとも、その吐ききったタイミングが、"始まり"なのか。

考えても考えても混迷し、謎が謎を呼ぶ。



というのも本日、いつものごとくLAVAに行ってヨガをしていた時のこと。
先生がレッスンの途中で発したのがこの言葉。

『呼吸の"始まり"と"終わり"を意識してくださいね〜!』


その言葉が発されてから、私の頭の中はその言葉でいっぱいになった。


ヨガをしていて、他にはマインドフルネスのワークショップをしている時や、座禅を組む時、
"呼吸"というのはとても意識させられるものである。


人は普段生活する中でそこまで呼吸を意識することがないけれど、誰しもが日常生活の中で行うその呼吸。
目を閉じて、静かに自分の呼吸の音や息の出し入れを意識することで、自分があまり知ったことのない落ち着く世界を構築していくその様は、手っ取り早くマインドフルな状態を作ることができるので、初歩としてよく用いられる。

私の場合は禅的とかマインドフルとかが流行る前に、茶道の空間の中で意思統一を行う際、フロー状態に入るためによく行なっており、普段の習慣に組み込むようになっており『呼吸を意識する』ということは今の自分の生活になくてはならないものとなっている。


だがしかし、『呼吸』自体を意識したことは数あれど、『呼吸の"始まり"と"終わり"』を意識したことはなかったので、脳内に電撃が走るほどの衝撃を受けた。

『呼吸の"始まり"と"終わり"』というのはどこを指しているのだろう?




ちょうど昨日読んでいた『本日は大安なり』という、辻村深月さんの小説の前半に書かれていたことのフレーズを紹介する。
双子の姉妹のどちらが姉で、どちらが妹か、という件だ。


私と鞠香は、双子の姉妹です。しかも、同一のDNAをもつために姿かたちがそっくりだとされる、一卵性双生児です。同じ日に生まれてきた。けれど、先に生まれた鞠香は私の姉で、それから数分後に生まれた私は妹だというのです。姿も大きさも、顔立ちさえ、ほぼ同一なのに。
小学生になった頃、生まれ順によって姉・妹を決めるこの考え方が日本に定着したのは明治時代からだと知りました。
〜中略〜
昔は違ったらしいんだけどね、と。本を読むと、そこに出ていました。
日本どころか、古代ローマだって、双子は昔、後から生まれてきた方が年長者。母の体に先に宿った者の方が奥にいるはずであり、後から生まれてくるはず。そう考えられていたというのです。それがひっくり返ってしまった明治は、戸籍を作る、というただそれだけの決まりから窮屈な要請を受け、面倒なことが始まったごく最近の時代ではありませんか。日本史でだって、「近代」と呼ばれます。

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時代によって、どちらが先なのか、どちらが後なのか、それは変わる。
捉え方によって、物事なんてどうにでも変わる。




他にも紹介しよう。
マンガ『ONE PIECE』の頂上決戦のドフランミンゴが放つこの言葉を思い出す。
ワンピースを読んだことのある方なら、覚えているシーンかもしれない。


「海賊が悪!? 海軍が正義!?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!!

 平和を知らねぇ子供共と、戦争を知らねぇ子供共との価値観は違う!!
 頂点に立つ者が善悪を塗り替える!!
 今この場所こそ中立だ!!
 正義は勝つって!?そりゃそうだろ!!
 勝者だけが正義だ!!!」

       





話が飛躍しすぎかもしれないので、 『呼吸の"始まり"と"終わり"』に話を戻そう。

呼吸だなんて、誰しもが行う日常的な行為である。
でも、それに意識をもつだけで自分が考えていた世界の一部の概念が変わっていく。

さらに、普段考えていなかった『呼吸の"始まり"と"終わり"』を意識することで、自分の中に固定化した概念がさらに変わっていく。

上記のような『生まれた時の呼び名』や『正義と悪』も、同じ。
たった1つの言葉に意識を飛ばすことで、世界の捉え方が変わっていく。


このように世界の捉え方とか言うけど、それが変わることでどうなるの?
別にどうでもよくない?
特に利益が発生するわけでもないのに、よくやるよね。

と言われてしまえばそれで終わりなのだが(というかよく言われる)、こういった事柄を思索し、答えのないことを発散し収斂させていくこの作業こそ、これから働いていく上でとっても重要なのではないか、
と、日々組織の仕事をしていて思うところでして。

まあ、なにより個人的に楽しいというのはあるのだが。

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