本気で走っている時に栄養不足になったらどうなるの?〜多くの会社のマネジメントが見て見ぬふりをする闇〜


栄養不足。
皆さんは陥ったことがあるでしょうか?

どちらかというと飽食の国である日本に生きている方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、世界中を見てみるとそんな状態に陥っている国は多く存在します。

栄養不足の何が怖いかって、もちろん長期的に身体への影響があることももちろんですが、気がつかないうちに一瞬で意識を失ってしまうというのも、短期的に見るととても怖いことですね。

私は今からちょうど4年前、大学4年生の時に自転車で西日本を旅していました。
(上の写真はその際のもの。こちらは有名な山口県の角島大橋での一枚。)

なんとも準備不足甚だしいのですが、その際、カロリーコントロールや給水量を間違えて何回か途中で意識を飛ばしたことがありました。

想像つきますか?走ってる途中で突然、意識が飛ぶのです。

気がついたら、山の中の側道で倒れていたり、街中の歩道で座っていたり、地元の方の家で横になっていたり。
あまりに暑い中、毎日100〜150kmほどを栄養と水分の摂取を怠ってしまうと体が悲鳴を上げ、体を守るためにシャットダウンしてしまうんですね。



さて、このように、無理して走り過ぎてしまうと栄養不足になってしまって、体が突然停止してしまいます。
これを日本の会社に場所を移してみるとどうでしょうか?

多くの方が、だいたい1日8時間労働で週5日働いて、週2日休んでいます。
そして、年に数日取れる有給休暇などがありますね。

労働以外の時間で、体を休めているわけです。
ある意味、それが実現していたら身体的には休むことができていますし、その労働の対価としてもらうお金を元に、食事をとることで身体の栄養は摂取するわけですよね。

でも、実際にはどうでしょうか。
最近では「働き方改革」の名の元に残業時間や総労働時間が抑制されていたりしますが、どうも夜の労働、土日の労働は行われているのをいろんなところでちらほら見聞きします。

もちろん、その代わりに賃金を上乗せするところもありますが、全く上乗せもしないまま、時間が延びるところもありますね。

とはいえ、日本の会社で働いていれば、最低限の栄養価を食事として摂取することが可能なだけの賃金を得ることが可能でしょう。
要するに、必死に必死に仕事を頑張って、走り続けていても、それを補うだけの栄養価を身体に取り入れることは可能なわけです。
身体的には、突然停止する可能性はあまりないわけですね。



今までは、それで良かったのかもしれません。
身体的に担保さえされれば、頑張り続ければ成長した社会がこの日本にはあったのですから。

でも、どうでしょう。
身体的には良いのだとしても、人は身体だけがあるわけではありません。

そこには「心」があります。
もはや頑張り続けても成長する社会ではなくなったこの日本において、身体だけ保証されていても、その身体の中にある「心」の栄養不足になってしまうことは大いにありえるはずです。



最近のニュースでは、ちらほら見るようになりましたね。
うつ病だ、メンタルだ、休職だ、退職だ、自殺だ、、、、
そんな言葉を多く見ますし、多くの方がそんな報道などを御覧になったことがあるでしょう。

隠すことでもないので言いますが、私もうつになったことがあります。
また、数年前の大手広告代理店で自殺してしまった女の子がいましたが、彼女はちょうど私と同い年。
私は直接の繋がりがあったわけではなかったものの、学生時代にいたコミュニティが近かったこともあり、共通の友人が多くて人ゴトではありませんでした。



「心」の栄養というのは、何を意味しているのでしょうか。

そもそも日本の会社ではこの部分を組織として生み出すための体制や教育が欠如していることが多いと思いますが、
それを突き詰めていくと、『安心』つまり『安らぎ』という言葉に収斂するのでは、と私は思っています。


最近では以下の記事にも記されているような『心理的安全性』という言葉がどこでも使われるようになりました。

■グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48137?page=4

この記事の中で、この『心理的安全性』は、

「本来の自分」でいられること

と書かれています。

逆に、これがない組織では

「仕事用の別の人格」を作り出す

とも書かれています。

「本来の自分」でいられず、「別の自分」を作りながら本気で走り続けたら、自分の内側のどこかからか、崩壊する音が聞こえてくることはなんともあり得ることでしょう。

結果、上記のニュースのようなことが起きても、全くおかしくないとは思いませんか?


とまあ、この言葉が様々な組織で言われるようになって少し経ちますが、真に『心理的安全性』を創り出すことができて、「心」の栄養状態が正常になっている組織はどれだけあるのでしょうね。



世の中には、本気で走りたい人もいれば、ちょっと力を抜きながら走りたい人もいれば、歩きたい人、止まっていたい人もいます。
そして、そのタイミングによって速度を変えたい人もいます。

どんな速度で進もうとも、身体的にも、心的にも、栄養不足にならず、栄養価の高い状態でいることができるようになったらいいなと、心底思うわけです。


〜〜先ほど自宅から「今日は今の自分の限界の速度に挑戦しよう」と思って5.2km先の代官山蔦屋まで自転車で本気で走り、結果として14分で着きました。
着いたものの、体力が足りず止まった途端数分歩けなくなるという恥ずべき状態に陥り、こんなその数分でこんなことを思った、涼しげな秋の始まりの夜。





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