『キリスト教』と『茶道』の意外な共通項について




今朝、学芸大学前あたりを自転車をゆるゆる漕いでいた時のこと。
久々にシスターを見かけました。

シスター。
日本語では姉妹とか、女兄弟とか、姉とか、妹と訳されますね。

ですが、私がここで言うシスターは違います。
キリスト教における、女性の修道士のことです。


Googleで画像を調べてみると、こんな結果になりますね。
(なんだかいくつも違う要素が入ってますが。笑)



さて、シスターを見かけると、私は中高生時代を思い返します。


というのも、私が通っていた中高一貫の男子校は、カトリックの学校。
よくミッションスクールという言い方をしますね。

私は特に洗礼を受けた信者ではありませんが、授業でも宗教の時間はたくさんありましたし、ことある毎にミサ(教会で行う儀式のこと)もありました。


今更ながらなのですが、私はそのキリスト教のミサと、茶道の茶会がひたすらに被ってしまうのです。
というか、共通項がとても多いなと。(完全に私の感覚ですが)


・その場に入ると身が引き締まるような心持ちになる

・皆が1つの事物を信じている

・皆が自らの心に平穏を感じている

・没入感を感じるタイミングがある

、、、などなど。


そう考えると、互いが互いを意識して形成された可能性はないのだろうか
というとことが気になってきます。



茶道というものを大成したのは千利休という人。それはこのブログの中でも何度も言及してきました。

では、キリスト教を日本に伝来させたのは誰でしょうか。

どんな人でも、学生時代に1度は聞いたことのある名前かもしれません。
「フランシスコ・ザビエル」ですね。
※この写真が実は別人だった、というニュースが昨年か一昨年かに流れましたね

で、ザビエルが伝来させたキリスト教。
この布教に賛成して推し進めたのは、誰でしょう。

織田信長ですね。
織田信長は、台頭する仏教勢力の対抗勢力としてキリスト教の布教を許し、かつ宣教師と共にやってくる多くの貨物船は、日本に西洋の文化や技術を多くもたらしました。

では、この布教を禁じたのは誰でしょう。

豊臣秀吉ですね。
豊臣秀吉は、キリスト教の勢力の拡大、そして力があまりにも強大になりすぎたがゆえ、それをおさえこもうとキリスト教の布教を禁じます。
(ただ、密かに布教活動は続けられたというのが現在の史実です)


さて、これらの時代。
どんな時代かというと、千利休の時代と完全に被るのです。

千利休がキリスト教を信奉していたかどうかは分かりませんが、少なくとも同じ時代を生きています。

また、もともと千利休が育ち茶人となる前に働いていたのが大阪の堺という町。
今でこそかなり落ち着いた、言葉を選ばずに言うと多少の寂れ感のある港町であることは私も数年前に見てきましたが、千利休が生きていた時代は本当に時代の最先端を突き進む町だったそうです。
多くの商船が海外からやってくるし、漁業も盛ん。町には外国人も多く、異国情緒溢れる活気ある町だったそうです。

特に史実がある訳ではないですが、そんな場所にいた千利休がキリスト教の宣教師や信者と強い関わりを持ち茶を共にしていたと想像しても何も違和感がないのです。

千利休はその関わりの最中、キリスト教のミサにも参加し、その荘厳な雰囲気・落ち着くことができる空間を感じとって自らの茶道に活かしていったのではないでしょうか。

実際、今のような落ち着きのある空間である茶室は、千利休の登場によって形作られたものです。
それまでの茶室は、書院造りのなんとも煌びやかな雰囲気で、少なくとも落ち着くというような空間ではなかったと言われています。


そこまで正確な情報が残っていないのでなんとも言えないのが、正直なところです。
ただ、少なくともキリスト教の感覚を元にして、茶道というものが千利休によって大成されて今に伝わっている可能性だって十分にあるのです。

そう考えると、茶道をはじめ「日本古来の文化だ!守らねば!」などと言われている文化たちは、キリスト教がなかったら今の形になっていないのかもしれません。

もしかしたら同じように、あなたの好まないものが、実はあなたの好むものに強い影響を与えているのかもしれませんね。

それって、逆説的でとても面白くはないですか?


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