人は日々の行動で、自身の"過去"から"今"を無意識に表現している。善くも、悪くも。
昨日、ロイヤルホテルザ 汐留にて、いけばなの御家未生流笹岡の展覧会が開催されておりました。
私のいつも一緒に諸々しているパートナーが家元からご招待いただいており、誘ってもらったので足を運ばせていただきまして。
通常の展覧会だと会場があって1つ1つお華としてだけ存在しているものですが、こちらではホテルの一装飾として生けられており、このほうがとっても自然だし魅力的だなあと思いながらゆっくり拝見してきました。
例えばこちらとか
(流れるような白色と美の象徴である白色のコントラストがちょうどぴったりはまっていて素敵な作品)
こちらとか
(かきつばたを生けるなら笹岡、と言われるくらい、かきつばたの生け方が素晴らしい流派です)
※自身の参考情報としてだけ撮影したので綺麗に写せておらず大変申し訳ない、、
■未生流笹岡 HP
http://www.kadou.net/
私のお花歴で言うと、茶道の際の「茶花」を入れるしかしたことがないので流派ごとの違いなどなど何も詳しくないのですが、こちらの流派は型というものはありつつも自由な花を活けるそうです。
これらの作品、これらの表現を拝見しながら、私はとある御方がおっしゃったことを思い出しました。
千利休という方をご存知でしょうか。
茶道を大成した人物として知られ、日本人ならいずれかの学校で名を知る機会が在るはずです。
(むしろ、茶道絡みで誰しもが知る機会があるのは彼くらいでしょう。)
そして現在、その彼の再来と呼ばれる方がいらっしゃいます。
それが、千宗屋さん。
武者小路千家15代家元後嗣で、東京タワーを望む茶室での茶事や稽古のみならず、全国各地での講演やNYを拠点に海外に「茶」を伝えるなど活躍しておられます。
その彼が書かれている1冊、『もしも利休があなたを招いたら』の中にこんな記述がありました。
お茶を学ぶということの最終的な目的は、自分自身を表現すること。つまり、お茶を通して自分という人間はどんな人間なのかを考え、形に表し、人にも伝えるということです。
ー中略ー
そこには、その人の性格やものの考え方、積み重ねてきた経験といったものが全て表れます。道具の選び方にしても、そこにいやがおうにも個性が表れてきます。ふだんどういう生活をして、どんなことを考えていて、いままでどういう人生を歩んできたのか、そういうことが全部、お茶に反映されてくるのです。
もしも利休があなたを招いたら 茶の湯に学ぶ”逆説”のもてなし (角川oneテーマ21)
さて、こうはおっしゃっているものの、茶道経験のない方だと少し認識しにいくかと思いますので、もう少し身近なものに変換してみましょう。
先日、とある金融機関でトレーダーをしている先輩と話していたのですが、その時に私が最近ゴルフを始めたという話をしました。
その際、ゴルフをずっとやっている彼女にこんなことを聞いたのです。
「ゴルフのどんなところが面白いと思ってます?」
すると、こんな答えが返ってきました。
「その人の性格とか人となりとか、そういう内面的なところがすっごく出てくると思うんだよね、ゴルフって。」
「内面ですか?」
「そうそう、コースを回っていて後ろの方々が多くなってきたら早めに回れるようにするとか、思い通りに打てなかった時の態度とか、そういうところにその人の内面ってすごい出るよね。正直『まじかこの人!』って思うこともあるけど、それまた面白いし、尊敬できる人を見つけることもできるよね。『私もこんな気遣いができるような人になろう』って勉強になることもたくさんあるし。」
これは単なる一例ですが、このように、人がなにか行動を起こすと、そこには必ず個性や信条など、その人にしかない何かが表れます。
ゴルフでコースを回る中で自分に何か都合の悪いことが起きた時、人によって態度は同じではないですよね。怒る人、そのあともずっと態度の悪い人、他の人を嫌な気持ちにさせるようなコミュにケーションを取る人、間違いを楽しめる人、笑って次を頑張れる人、人によってかなり分かれますよね。
そしてこの千宗屋さんは、そのような"自分"が茶道ではものすごく表れてしまうとおっしゃっています。
それはそうですよね。大きな身振り手振りはなくとも、茶道はその細かいところ、微細な部分をかなり重視しますし、昔は茶の場を共にすることでその相手の性格・力量・相性を測ったそうですし。
本日見たお花の作品たちを見ても、それは言えます。
「この人はこういうところに気をつかうのだな、とすると家事とかとても丁寧にやる方なんだろうな。」「木をこんな大胆な使い方をするなんて、多分常識に囚われることが嫌いで、壁を超えて新しいことをすることが好きな方なんだろうな。」などと思うわけです。
これは別に一部の人に当てはまることではありません。どんな人でも、日々の行動によって自身の表現をしています。
それを見れば、どのような人なのかは、すぐに分かってしまうのです。善くも、悪くも。
そして、こう言ってる私自身もそう見られていることでしょう。
このブログの読者の方にはこのブログを通して、私と会っていただく/いただいている方には発言や行動を通して。
「なんとも素晴らしい伝説的な人生を送ってきたんだなこやつ!」とまで思われなくてもいいですが、
少なくとも、「ああ、こいつは自分なりに一生懸命な人生を送ってきたんだな」と思われるような"自分"を毎日歩んでいきたいなと、ひしひしと思うわけです。
ゴルフでコースを回る中で自分に何か都合の悪いことが起きた時、人によって態度は同じではないですよね。怒る人、そのあともずっと態度の悪い人、他の人を嫌な気持ちにさせるようなコミュにケーションを取る人、間違いを楽しめる人、笑って次を頑張れる人、人によってかなり分かれますよね。
そしてこの千宗屋さんは、そのような"自分"が茶道ではものすごく表れてしまうとおっしゃっています。
それはそうですよね。大きな身振り手振りはなくとも、茶道はその細かいところ、微細な部分をかなり重視しますし、昔は茶の場を共にすることでその相手の性格・力量・相性を測ったそうですし。
本日見たお花の作品たちを見ても、それは言えます。
「この人はこういうところに気をつかうのだな、とすると家事とかとても丁寧にやる方なんだろうな。」「木をこんな大胆な使い方をするなんて、多分常識に囚われることが嫌いで、壁を超えて新しいことをすることが好きな方なんだろうな。」などと思うわけです。
これは別に一部の人に当てはまることではありません。どんな人でも、日々の行動によって自身の表現をしています。
それを見れば、どのような人なのかは、すぐに分かってしまうのです。善くも、悪くも。
そして、こう言ってる私自身もそう見られていることでしょう。
このブログの読者の方にはこのブログを通して、私と会っていただく/いただいている方には発言や行動を通して。
「なんとも素晴らしい伝説的な人生を送ってきたんだなこやつ!」とまで思われなくてもいいですが、
少なくとも、「ああ、こいつは自分なりに一生懸命な人生を送ってきたんだな」と思われるような"自分"を毎日歩んでいきたいなと、ひしひしと思うわけです。
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