趣味は「時間を取るべき大事なもの」であり、「隙間時間でやる些細なこと」ではない。




最近よくいろんな方から私の時間の作り方について聞いていただきます。
『多趣味だよね』『よく時間つくれるね』『どうやってるの?』などなど。

ということで今日は、趣味というか仕事以外の好きなことをどう捉えているのか、どう位置づけているのかを書きます。


趣味、というとどんなものを想像するでしょうか。
読書・映画鑑賞・フットサル・ランニング・寝る・散歩・筋トレ・カフェ巡り、、、などなど。
みなさんはいかがでしょう。


私の趣味をパッと書いてみると、こんなものが挙げられます。

美食巡り・読書・マンガ・アニメ・映画鑑賞・ヨガ・ゴルフ・散歩・茶・花・瞑想・ブログ・対話・相談にのる、、、などなど。

私はこれらを複合的にかつ積極的に日常に取り入れるようにしているのですが、それには理由があります。
それは、これらと仕事を日々行うことで、「内省」「表現」の実行頻度と質を相乗的に高められるというメリットがあまりに素晴らしいと感じているからでして。



例を挙げましょう。


例えば、『イミテーションゲーム』という映画。

イギリスがドイツに宣戦布告した大戦の最中、数学者であるチューリングは、ナチスの暗号機エニグマの解読に挑むチームを結成し、挑んでいく、、と言う物語。

ここでとても印象的なのは、
・『我々が暗号を解くことでイギリスの市民1400万人の命を救えることがわかっているんだ。その為にやるんだ。』という明確な目標(誰でも成功したか否かを判断できる目標)をチームに浸透させたことで、初めて力を合わせることができたということ
・このエニグマの解読を行った機械、これがコンピューターの元になって、我々の今の生活があるということ


イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(字幕版)

これ、こんな部分が印象的だったということは自分の中でそこらへんに対する感度が現在高いということを暗に示していますが、「内省」したことと「表現」したことをそれぞれ示してみましょう。

・「内省」
チーム全員で事を成そうとした時に、目標をどう設計するかはかなり大事。というかそこがなければ仕事にならない。しかも、それが単純なる数字ではなく、途方もない夢のようなことであればあるほど良い。なんだか達成できそう、とか数字だけがあって何も心動かないようなもの(よくあるのは営業予算みたいな)とかはほんと良くない。いかに人の為になるか、いかに根本的に必死になれるか、いかにワクワクできるか、という観点が最高に大事

・「表現」
上記内省をそのまま仕事に転用。常に自社のビジョン、目指したい世界観というの元に目標をいかに明確にするかという観点で仕事を進めていく。弊社には現在「『毎日仕事するのが楽しくて仕方ない』を日本中に創り出す」という目指したい世界観があるが、これは外部に出していく世界観としては良いかもしれないが、目指す目標としては欠けている。これをもっと明確な目標に落とすことで、よりそれぞれの人員が動きやすくなるはずである。



他にも例えば、『利休にたずねよ』という映画。


天正19年、茶人・千利休は、聚楽第内の屋敷に設えた一畳半の茶室で切腹の日を迎える。妻・宗恩は、利休には長年秘めた想い人がいるのではないかと問いかけ、、、というところから始まる。利休切腹の当日から時をさかのぼり、利休の美学の根源を探るという物語。

ここでとても印象的なのは、

・利休がそれぞれの場で相手が想像もしないもてなしを創造し続けていたこと
・お茶が持つ力がこれほどまでに成熟した時代があったということ(日本文化に携わったことのある人とない人だとこの部分の受け取り方は俄然変わるでしょう)


利休にたずねよ

こちらも「内省」したことと「表現」したことをそれぞれ示してみます。

・「内省」
人をもてなすというのは、相手が期待し理解できる範囲で行うものでも、至極贅沢な状態を創出することを言っているのではなく、相手の期待を超えて驚きを与え、かつそれをとても心地よく感じてもらうこと、どれだけ質素な状態でもその中に美しさや素晴らしさを見出してあげることで引いては相手の心の中に今まで見えていなかった部分を見えるようにしてあげることである。
また、自身の感性を形成してくれた日本の茶そのものに感謝するだけでなく、その根本を形成してくれた家族にありがとうといいたい。

・「表現」
これは仕事をする上でも心がけるべきことであるし、それだけでなく人と会う時にもとても大事なことである。誰かと会うのであれば、それは相手が自分と会うために様々なるコストを支払ってくれているということ。それなら、相手が何か1つでも新しいものを得られるとか、新しいものを知れるように会話を進め、問いかけ、伝えてあげることが必要ではなかろうか。
(ただそのためには、相手が必要だと思うものを認知し、それを的確に提供できるだけのものを持っていなければならないので、それの生成も伴うことだが)



今回は映画2本について記しましたが、このように私は趣味から「内省」「表現」の実行頻度と質を相乗的に高められると考えております。

ただ悲しいことに、日本人の仕事をする人の多くは仕事が生活の中心になって、趣味は隙間時間にやるもの、という意識がとても強いと思うのです。(だから、お父さんが家族のための時間を持つのも家族サービスとかいうとても心持ち悪い言葉になっているのかと)

いやあ、それはなんとももったいないことだなあと思っておりまして。
我々の日々の中心は仕事じゃなくて、生活です。暮らすことです。人生を送ることです。

趣味も仕事も、両方から学べばいいじゃないですか。
趣味で得たことを仕事に活かせばいいし、仕事で得たことを趣味に活かせばいいと思うのです。


私は、この「内省」と「表現」は仕事単体ではどうしてもまかなえないと考えてるのですよね。
だって、視点も視座もとっても限られるじゃないですか。
この視点と視座の広がりを持つため、私は趣味をとても重視しています。
そこに価値を圧倒的に感じているからこそ、そのための時間を設定しています。


ではでは、その時間を具体的にはどのように作っているのか、それはまたいずれのブログで書き記してみましょうか。

今日はこのへんで。

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