今も昔も、思い考えることは変わらない。




"侘び寂び"という言葉について、昨日のブログで少し触れました。
この言葉について、人と人の会話にリンクさせて考えてみましょう。


この言葉に、千利休はこんな風に触れています。

『侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し』

こちら、もしかしたらそのままでもわかる言葉かもしれませんが、人の恣意を超えて顕れるもの、そこに得難いものを感じるのであって、人の作為によって顕れるものに『侘び』はない。
ということを言っています。

たしかに、狙って『寂び』感を出したものに『侘び』の感情は持たないですよね。


でもそれって、人とのコミュニケーションについても同じことが言えると思うのです。

もちろん、人と人のやりとりの中に『侘び寂び』という考え方はありませんが、相手を動かそうという意図をもって伝える言葉では、きっと相手に響きません。相手の為になると信じる意図をもって伝える言葉は、きっと相手に響きます。


組織の中にも、良くある話です。

上司が部下に声をかけるも、部下からするとその声の裏側にある意図に気づいてしまって、、、
上司からすると部下のことを見ているのだが、つもりになっているだけで、部下はそう認識していない、、、

などなど。


『侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し』

最近とても思うのです。
今も昔も、思い考えることは変わらないのだと。



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