根本的な思考をしたのか、それとも単にスキルを得たのか。その選択が、数年後に知覚できる量と質を極端に左右する。





昨日はこちら、茶の道を始めた理由を書き記しました。

■茶の道を始めたのは、意外と結構雑な理由。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/08/blog-post_15.html


さて、今日はそんな中で、私が茶道と煎茶道を始めてささやかながら得たことを箇条書きにて記していきましょう。(一旦現状思いつく限り)

■茶道をがっつり始めて
・非効率の美しさ
・季節に対する感受性が磨かれる感
・1つの文字それぞれが持つ意味への思考力
・1つの音の中に眠る世界観
・ひたすらに正座がきつい(数日間の合宿とかは、もう足がなくなる感覚)
・コミュニティがとんでもなく古い体質(これはあまり詳しくは書けないやつ)
・思った以上にほぼ体育会系(上下関係と思想面)
・過去に思いを馳せる力
・よく分からない落ち着き具合(見てくれも声も態度も)
・自身の手さばきや足さばきへの客観性
・フロー状態への没入
・立場ごとでの思考思想の違い
・女性陣との関わり方/常識の添わせ方
・他の伝統文化への知識/経験の転用方法
・お華や書、器などに対する知識
・茶杓や茶筅作り
・伝統工芸品への興味と知識

■煎茶道をがっつり始めて
・味の些細な違いに敏感に
・温度の違い、湿度の違い、気温の違いに敏感に
・茶葉それぞれ、そしてそれらの摘み取り時期や保管期間/時間ごとの変化度合い
・淹れる者の違いによる
・年代別の煎茶の好みの傾向
・ラッピング技術
・年代別での和物の趣味テイスト好みの違い
・淹れ方への徹底的なこだわり
・急須へのこだわり



ここまで書いていて思ったのですが、やはり自身の中だと茶道と煎茶道だと、茶道のほうが自身への影響は強めなのですね。

それはやはり、茶道は結構根本的なところから師匠に教えていただきながら研究していたのですが、煎茶道はある意味どれだけ美味しい煎茶を淹れられるか、どれだけ売れるか、というところに終始していたので、根本的に理解することはあまりなく、得たことも少なくなっているのかなと。


でもこれ、日々の仕事の中でもそうだと思うのです。
上部だけやってみても、その時にスキルはつくと思うのですが結局自分に残るところってとても少ないです。
根本的にやってみると理解も定着も時間がかかるのですが、その分自身への影響もとても大きいですね。

しかも、上記は18〜22歳の頃のことです。
時間が経ってもしっかり自身の得たこととして書き記せるということは、その部分に関しては比較的、根本に近い部分を得ていたということだと思うのです。
逆に消えているスキル部分は普段使わねば薄れていくでしょうし、スキルだなんて数年すれば全部陳腐化しますね。(お茶のスキルは数年でそこまで変わるとも思えないですが、、)


さてさて、そんな風に茶道と煎茶道で得たことをつらつらと書き記して、根本的な部分とスキル部分では知覚できるレベルが違うというお話を進めてきたわけですが、
ではそもそもその根本的なものとは一体なんなのか。

それは明日以降記すところとしていこうと思います。

では、めくるめくお茶の世界へ。

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