"コミュニケーション能力"を採用の最重要要素にするのは、自社の欠陥をアピールしているだけではなかろうか。




時期は8月、現在の大学4年生はもうほぼ就活も終えたような状態だろうか。
就活生たち数名の相談にのっていた中で、みんな自分の行きたいところにいくことになりとてもよかったなあとホッとしているところだが、もうすでに来年就活をする学生たちから相談がきはじめた。

そんな彼ら彼女らから最近こんなことをよく聞かれる。
「コミュニケーション能力を鍛えたいんですけど、そのためには何をしたらいいでしょうか?」

そう聞かれる度にまずはこう聞く。
「そもそもなんでコミュニケーション能力を鍛えたいと思ってるの?」

そうすると彼ら彼女らが同じようにこう言う。
「え、だってコミュニケーション能力が採用されるために必要だってよく言うじゃないですか」


2014年の経団連の調査では、新卒採用の選考時に重視する要素は 10 年連続で「コミュニケーション能力」が第1位。
実際、コミュニケーション能力を高めるためのセミナーだとか本だとかは世間に溢れ、メディアを見ていてもそんな文脈の話はよく目にするところだ。


https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/001_gaiyo.pdf


私は採用担当をしたことがあるわけでもなく、採用の専門家でもないのだが、そんな会話を学生たちとする度に、「いやあ、これぞ採用の闇よね、、」と感じるのだ。


私のいつもの疑問はこれ。

"単なるスキルでしかないコミュニケーション能力を最重要視するよりも、本人のもっと根本的な特性を最重要視できないものだろうか" と。


まずは大前提から。
これは持論だが、コミュニケーション能力は誰でも身につけられるスキルである。

私自身コミュニケーション能力のある人間かは分からないのだが、周りからの評価を見ていると、最低限はあるのだろうと思っている。


だが、もともとの私は自分の意見を言うことも、そもそも言うような意見を持つことも全くできていなかった。
19歳、、、大学2年生の頃だろうか、社会人たちと話す機会が突如増えた時、私は本当に何を話していいのか分からず、全く声を出すことができなかった。

ただ、それが嫌で嫌で、なんとかコミュニケーションを取れる自分になろうと試行錯誤した結果、1年とちょっと後の21歳、大学3年生の時に800名の前で登壇して話せるような機会をいただくこともできた。

その時思ったのだ。
会話をする、人に言葉を届けるって、ある意味努力すればなんとか手に入れることができるんだ、あんなに話せなかった自分でもできたんだし!と。


さて、そんな経験があるので、私はコミュニケーション能力はスキルだと考えている。
別に、1年2年練習すれば、特定の人に特定のことを伝えられるようになるはずだ。

それゆえ、私はこの就活というイベントにおいて"コミュニケーション能力"が重視される理由がよく分からない。
これは会社に入ってから余裕で習得できるスキルのはずだから。
余裕で習得できるスキルを元に区別したところで、それは全くもって本質的ではない。


確かに、そのスキルを圧倒的に持っているがゆえに、会社に入社してからも業務も人間関係も全員がとても好調に進められるというのであれば、それもまた是なのだろう。

だがしかし、組織に属する人の悩みの源泉は、基本的に他者との関係性が絡んでいる。
コミュニケーション能力が圧倒的にあるから、コミュニケーションに関しての問題を抱えることはない、ということはまず有りえない。

さすれば、コミュニケーションという一定期間の努力で身につけられるスキルを最重要視した上で採用の判断するというのは、果たして正しい選択なのだろうか。


たまたまその時にコミュニケーション能力がない、と判断されて自分の夢への一歩を閉ざされた学生のことを考えると、"コミュニケーション能力"を最重要視する採用だなんて、とても嫌なシステムだなと感じる。

そんな上部のものではなく、もっと彼ら彼女らの中にある本質的なところを見てあげられれば、会社にとっても、学生個人にとってももっと良いマッチングが生まれるのではないだろうか。


ただ、同時に思うのは、とはいえそのような本質的なところ、スキルではなく本人自身の特性や根本的な思想をしっかりと見て判別をすることができるような目を、企業側が単に持っていないだけなのかもしれない。または、本質が、根本がどうというより単純にスキルだけを重視する会社なのかもしれない。
そんな目すら持たない人間を採用に配置する会社なんて、スキルだけを重視する会社なんて、合格せずに最初から入らないほうが幸せだ、という考え方もまた一方には存在する。


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