70年に渡って会社を経営してきた祖父から学んだ6つのこと




日本はちょうどお盆の期間。
私は昨日から、秋田の家に帰省している。

実家は横浜なのだが、私が生まれたのは秋田の能代市というところだ。

生まれは?と人に聞かれるといつも説明に困るのだが、私は以下のようなタイミングでそれぞれの場所で育っている。
・生まれ〜4歳:秋田県能代市
・4歳〜22歳:神奈川県横浜市

というのも、私が生まれる直前から父親がアメリカで働いており、我が母親は秋田にある自分の実家にいた。そして私はそこで生まれた。


そんなこんなで私は秋田に来る度、生家である祖父の家に滞在している。

昨日久々に祖父(91歳)に会い、「ああ、この人の孫として学んだことがたくさんあったなあ」と思うことが昨日と今日だけでも多々あったので今日はそれを記しておこうと思う。



■働くことって、楽しい!という気持ち

私が知る祖父は70歳くらい以降しか分からないのだが、それでもいつも深夜3時4時くらいまで電気を点けて仕事をし続けている祖父ばかり見ていた。もちろん社長だから、ということもあるかと思うのだが、単に義務感というより、何より楽しいから仕事をしているという感覚がとても強かったことを覚えている。
私も幼少期であまり覚えていないのだが、祖父の会社の事務所とか工場の中の掃除のお手伝いをしている時、祖父が会社のことを楽しそうに私に話してくれるのを、社員たちと話す時にとても楽しそうだったのを強く記憶している。


■思ったらすぐにやってみる/変えてみるという動き方

祖父は20歳の時に今の会社を立ち上げたらしいのだが、最初は木を切って、それを使って箱を作り、東京に売りに来ていたらしい。だがしかし、その最中、日本にダンボールという安く簡易だがしっかりとした箱が登場した頃らしく、それを見た祖父は「このままじゃ、木の箱なんて売れない!」と思ったとのこと。
そこで、今の会社の事業の大元である、建築資材(内装専門)の商社機能と木材の加工機能を両立を行う事業を始めたらしい。かなーり大変だったようだが、今では一戸建て建築の中でも和な内装を行う木材商では日本シェアNo.1らしい。その変化へのスピードと試行錯誤が、祖父の強さだったのかもしれない。


■失敗しても、死ぬわけではないし頑張ろう!と笑顔でいること

私が中高生の頃、一時期祖父の会社が中国進出をしたことがあった。その頃は祖父もよく中国に行っていたし、秋田の会社にも中国人の方が多く、その頃社員は100人くらいと、秋田の片田舎の会社の中では比較的人も多い会社になっていた。
だが、速攻大失敗して数億をすっ飛ばし、親族全体で困窮したことがあった。私の家族も全員で秋田に戻るという可能性もあったくらい。日々おかずが減っていったあの頃のことをよく覚えている。
だが張本人の祖父に会ってみると、「勇気、いやあ、まずいなー失敗しちゃったよ。仕方ないなー!はっはっは!」とのんびりにこやかに私に話してくれていたし、社員にもそのように応じているのをよく見ていた。


■組織を運営する中で大切なのは、一緒に働いてくれる人を鼓舞し続けること

幼少期によく見ていたのは、祖父が社員たちに常に声をかけて「最近どうだ?」「そういえば奥さんと今喧嘩中だった言ってたけど、仲直りしたか?」など会話し、社員たち全体とプラベートの話も仕事の話も関わらずたくさん雑談をしていた姿。
社員からも、「勇気くんのおじいちゃんがいるから私たち暮らせるんだよ」「君のじいちゃんはすごいんだぞ!俺もああなりたいんだよなあ!」とよく言ってもらっていたので、その祖父のコミュニケーションはよかったのだろう。


■古くから続くものってかっこいい!という気持ち

私が生まれた家は祖父はじめ全員が建築系の仕事(それも一戸建ての家)についていたということもあり、お寺や古い料亭など、そういう古くから続くものが大好きな家だった。親族で集まればそんなことしか話さないし、歴史的な建築物に関する議論を繰り広げて喧嘩することもしょっちゅうだった。それを先導していたのが祖父。古くから続くものに対する憧れ、かっこいいと感じる気持ちは幼少期から常にインストールしてもらっていた。


■歴史から学ぶことは多いという考え方

祖父はお能や長唄や三味線を、祖母はお琴や着物を、母は茶道と華道を、、
と、親族全体として日本の伝統文化に当たるものを趣味にしていた。
その中でも祖父からは、よくお能の踊りや唄いを見せてもらったり一緒に踊ったり唄っていた。
何を言われたかそこまで詳しく覚えていないのだが、「数百年前から続くものに取り組むことで、じいちゃんのいつものパワーも何倍にも増すんだよ」と何度も言ってくれていたことをなんとなく覚えている。
このような文化も然り、いつも木の歴史や秋田の歴史など、長く続くものについて話してくれていた。仕事柄そのような知識が必要だったというのもあるかもしれないが、歴史が祖父にもたらしていた力はきっと大きいのだろう。


※その時に使っていた読本を今回の帰省で偶然見つけた↓




そんな風に、私は祖父から多くのことを学んできたような気がしている。
きっとこれからも、祖父の姿、話した内容を思い出して自分の力にすることがあるだろう。

91歳でも元気いっぱいになんでも食べて会社を気にかけ庭いじりをしている祖父だが、できるだけ秋田に帰ってこれるようにしたいなあと、祖父に会うたびにとても強く思うのだ。




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