組織の『質』と人の『質』は、得てして分断して考えがち。どうして組織は人ならざる存在なのか。




昨晩、経産省若手官僚×企業人事『HR発イノベーション創出のための対話 ~悩む人事 不安な個人 立ちすくむ国家~』というイベントに参加してきた。


イベントページ:http://peatix.com/event/277333



こちら、先日ネットを騒がせた「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生きるか〜」という経産省の若手有志によって発表されたもので、いわゆる「若手ペーパー」と呼ばれたものを題材としたイベントである。

詳しい資料内容はこちらから↓
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

昨日は、まさにそのペーパーを発表した張本人達と、このような話題に絡むような方々を集めて開かれた。



もちろんこの経産省の方々の話も刺激的だったのだが、一番印象に残ったことだけを今日は書いてみたい。


昨日の登壇者の1人に、パラレルキャリア女子としてよくメディアにも出ていらっしゃるハピキラFACTORY(http://www.hapikira.com/)の正能さんがいらっしゃったのだが、彼女の発したこの言葉がとても印象に強い。
正確には記していないのだが、こんな言葉だった。

『私が言うこと、行動することが会社の中で今までルール化されなかったんです。でも会社はそれに対してどうやったら対応できるか考えてくれて、ルールまで作ってくれた。それってとっても有り難かったんですよね。』


これを聞いた時、「なるほど!」と思ったことが以下の3つ。

・あの規模の会社が彼女のためにルールを制定するって、会社の彼女に対する想いの掛け方がすごい
・枠にはまらないものと出会った時、組織の質が問われる
・というか、新たな存在に対して拒絶反応を示す会社って、そもそも会社として機能するのか?


そもそも会社というのは何かしら自分たちだ毛ではコントロールできないようなものと一緒になりながら進んでいくものである。
だからこそ、サービスを創ったり、会社を大きくしたり、業界でも常にトップを走り続けたり、そのためには様々な障害が発生する。
その全てが、想定できているものなわけではない。どうしても想定できずに発生するものもある。それにどう対応するかで会社のその後の運命は変わっていくわけだ。

だが、仮に正能さんのような人材が所属していると仮定して、彼女の発言や行動の全てを否定して「それは我が社のルールにない!」などとやっている会社は、事業も経営もうまくいくわけがないと思ったのだ。(そんな会社に彼女のような方が入社するとは思えないが)
なぜなら、自分たちが想定していないものが出現した瞬間に目を瞑っていては、会社なんて簡単に潰れるはずだ。



枠にはまらないものと出会った時、組織の質が問われる。


さて、そうなると、同じことは人に当てはめることはできるのだろうか、という問いが私の中で生まれてきた。


枠にはまらないものと出会った時、人の質が問われる。

うーん、確かに枠にはまらないものと出会って受け入れられる人っていいな、と思いつつ、別に受け入れがたいと思う人もいるのは間違いない。

そして、それは単に柔軟性とか適応力とかの度合いが人それぞれ違うだけで、別に人の質を規定するものではない。



おそらく、多くの方がこの『人』の議論に関しては同じように考えるはずである。


そう考えるとどうだろう。
組織は人が集まって形成されているにも関わらず、人ならざる扱いばかり受けていないだろうか。
ブラック企業だなんだと言われ、恥さらしな会社だと言われ、そして所属する人もそれに同調するような風潮すらある。

組織は少なくとも人の集合体である。
でも、もはや組織は人とは同義にはなっていない。『法人格』は人ならざるものなのだろうか。
組織は人を活かすものではなく、人を縛り上げ制限をかける存在として世に強く印象づいてしまっている。

組織は、人ならざる存在なのだろうか。



私個人としては、別に人が組織のためだけに働く必要はないと考える。
組織なんて、単に人の器である。

だけれども、より大きな目的目標を達しようとした時に、大勢の人を抱え、リソースを活かして1人の人だけで行うよりもより大きなインパクトを創出することができる。
組織でしか実現のできないレベルが多く存在する。

そう考えると、組織と人は違うものだとしても、人を大切にするのと同じくらい、組織も大切にしていいと思うのだ。
組織じゃないとできないことがあると思うのだ。



そんなことを感じながら、私はこの60日連続で記してきたブログを締めくくる。


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