「負荷なく」「無意図で」「瞬間的に」というのが、何をするにしても一歩踏み出すハードルを下げてくれる。




Facebookには、数年前の今日はこんな日でしたよというものを表示してくれる機能がある。

それにて昨日、こんな写真たちが上がってきたので懐かしく思い返していた。




ーこちらは多分22歳の頃(3年前か4年前のはず)、銀座にある老舗の牛鍋屋さんにお招きいただいてお客様方にお点前の披露をした時の一枚。お茶の席で写真を撮れることはほぼ有り得ないので、あまりない自身の茶道中の写真。
正直、この写真中にも見える線を畳の上に這わせねばならないことに憤りを感じながら平静を装いお点前したことを覚えている。




ーこちらは多分21歳の頃、同年代の様々な大学の学生たちを集めて、華道と茶道を学ぶ会をしていた時の一枚。それぞれが表す華の形が全然異なるのがとても面白かったのを覚えている。この頃の趣味は確か、自分でデザインした和菓子を様々な和菓子屋さんで特注して作ってもらうことだった。



この大学生の後半あたりの時期をまとめて思い返すと、日本の文化の未来とか、アートの行く末とか、そんなことを妄想し空想することがとても大好きだった。
様々な作品を見たり読んだりしながら、1人1人の作者や職人、アーティストたちの気持ちを想像して、これからどんな作品を作っていくのだろう、とうにうにと考えることが好きだった。ビジネスの世界に入らずにそのままその世界で表現者として生きていくことも考えた。


・・・・・


こういうことって、なかなか思い返す機会がない。
しかも、それがちょっと時間をかけなくてはいけなかったり、考えなくてはならなかったりすると、それが負荷となってどうしても取り組みにくくなってしまう。
自ら能動的に行うことも簡単ではない。


でも、この画像が自然と上がってくるだけで、何かしらの気づきになるのだ。

ああ、最近こういう風に考えられてないな。
あの時と今だと、この部分の気持ちは同じだな、あそこは違うな。
単純に懐かしいから、久々にやろうかな。 などなど



まあ何が言いたいかと言うと、Facebookのこの機能はとても素晴らしいということを私は声を大にして言いたい。

「負荷なく」「無意図で」「瞬間的に」というものの実現によって、
ユーザーの、些細かもしれないけれど、もしかしたら当事者からすると後々とても大事なキッカケを作っているかもしれないのだ。





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