必死にやった時に出てきたシンプルな感情が、自分を支える価値観になる。




昨日、5年前に住み込みでインターンをしていた八代目儀兵衛にて、その当時一緒にインターンをした仲間と久々にランチを食べていた。

こちらの会社、お米のEC事業を行いながら、祇園・銀座・成田空港に料亭をもつ、京都の米屋だ。
当時、2店舗目となる銀座店舗の企画設計をするということをやらせてもらっていた。

当時、日本の文化をどう世界に展開していくか、それを担う仕事がしてみたいなあと思っていたので、ここの橋本社長に初めて会った時に衝撃を受けたのを覚えている。



こちらでインターンした時から、ここのお米は最高だ。
お米にはひときわこだわりを持つ家に生まれたのでその味には敏感であったと思うが、衝撃だった。
(私は幼少期から今に至るまで、秋田で作られたあきたこまちしか食べない。

他のお店で食べるお米がお米じゃないと思うくらい、一粒一粒を丁寧に食べているということが実感できるお米だ。(ちなみにランチは、お米お代わりし放題であるので、まずはランチから行くことがオススメ。)



昨日、気温は30度に回るほどの京都で、11時前からこんな行列である。
ちなみに祇園店は、祇園の入り口、八坂さんの目の前だ。




昨日ランチを食べている時、当時のことを仲間と思い返していた。
死に物狂いだったあの頃。
写真を振り返るが、写真では楽しそうな場面しかなかった(それは当然か)。


ー社長たちとみんな(やばい、5年前は若い)




ー深夜の攻防 with RedBull




ー初日、、?(やばい、若い。みんなオトナになってゆく...






あの頃、日々何をどのようにやっていたのか、具体的なことはほぼ覚えていないが、とてもはっきりと覚えていることが1つだけある。

京都にしばらくいて、東京に帰ってきたあの夜行バスを降りた瞬間、東京の"色"が変わって見えた。
仲間と必死にやり抜くって、とても最高だって、そう思った。

その時からだろう。
寝る間も惜しんで死ぬ気でやり抜くことが自分の中で"是"となったのは。
基本的には死なないから、大概どれだけやっても大丈夫!それも楽しいし、その先にはきっとオモシロイ世界が待ってる!



さて、これは私の一部分の経験、そして記憶である。
この記憶はあまりに強く自分の中に残っているので、私はこう思うのだ。

必死にやった時の、その瞬間的に浮かんだシンプルな感情ってその人の価値観を表すのではなかろうかと。
追い込まれている時こそ、自身の中心の部分がモロに出てくるのだと私は考えている。



私はこのブログの中で過去必死にやったことをほぼ書いたことがないが、例えば先日書いた、もう1つのインターン先である「和える」での経験はこれに当たるだろう。

■常に問いを立て続ける自分をつくる為の近道は、"憧れる"人との会話を思い返すことだ。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/06/blog-post_40.html


ここでとても強く残っているのは、こんな問いだ。

「ホンモノってどんなものだと思う?」



他にも必死でやった時のことを書き連ねていけば、その強く印象に残っていることも同時に洗い出されていき、きっとその点と点は何かしらの線になる時がくる。

私の場合、その結果が「勇気を持って一歩踏み出す人で溢れる社会をつくる」だ。

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