ストレスないチームを組むために、全員で共有しておきたい"1人"の時間感覚
今日は久々に江ノ島〜鎌倉へ。
おそらく中学生の頃からだろうか、時々思い立ってこの区間を海岸沿いに歩く。
大体9kmくらい、徒歩1時間半から2時間弱の道のりだ。
音楽を聞きながらるんるん歩くのもよし、海を見ながら何も考えずてくてく歩くのもよし。
今日なんかは多少暑いけれども風は心地よく、そんな散歩にとても適している。
こちらの写真は、由比ヶ浜のベンチに座って撮った一枚。
私は中学生の頃からよく1人でここに来て、海を見ながらぼーっとしたり本を読んだり、書き物をしていたりする。
確か中学の部活で鎌倉あたりで試合があった後、負けて悔しくてここのベンチで泣いた以来、ここのベンチに座りにくることが多くなった。
そんな江ノ島〜鎌倉までの道中、思い出したことがある。
この趣味なのか習慣なのかを話した何人かに、こんな風に言われたことがあるのだ。
「1人で海岸沿いを散歩って、暇だったんだね〜。誰かと遊んだりしないの?」
その時は「ああ、そういう風に思う人もいるのか」とその時は思ったのだが、時々言われるのでその個人がというより、そういうように捉える集団がいるんだなと認識するようになった。
少なくとも言えるのは、特に暇すぎて何もすることがないから歩いているわけではない。
私自身にとって、この時間を持つことが大切だと思っているから行うのだ。
私は自身の特性上、基本的に1人行動を好む傾向にある。
チームでやることが嫌いとか避けたいとか、他者との関わり交わりは拒否する、みたいな気持ちは全くない。社交的かと言われると断固として否定するが、人との親密さはとても大切にしたいと思っている。
だが、1人になることをなぜするかと言うと、例えば以下のようなことをするためにとても大事だと思っているのだ。
・自分の心の中の安定感をつくる
・過去の経験の振り返りをしつつ、メタ化する
・未来についてあれこそワクワク考える
・自身の性格や行動パターンの分析をする
そして、私は上記を定期的に行うことがとても重要だと判断している。
(基本的に毎日やるが、毎日だとどうしても中途半端&雑になってしまうことが多いので、まとめての時間もとる)
なので、私はむしろ1人になるための時間をなんとしてでも死守しようとしながら予定を組み立てていく。
予定が多くなりそうならその量を減らすとかもっと時期をずらすとか。
そういうことを伝えると、基本的な返答は「へー、そうなんだ」だ。
これは特に共感も理解もしていない返事である。
まあ、とくに分かってもらう必要もないのでそれ以上言及しないし、逆に言うと私も彼らの時間感覚を理解できていないので、お互い様だ。
ただ、ふと思ったのは、その時間感覚を共感しあえない人とチームとして一緒にやるのは正直難しい。
その時間感覚を理解し合えないと、ギクシャクする可能性がとても高いと思うのだ。
例えば、こんな感じで。
「Aさんって自分1人でいる時間多いけど、そんな時間いらないからもっとみんなで議論しなきゃいけないと思うんだよね」
「Bさんから予定調整してって言われてて、そこはどうしてもダメって言っても"誰かと会うわけじゃないならいいじゃん!"ってどんどん予定入れられちゃうんだよね、、、」
こう思いながら、これも調査したら面白そうだな、、、どうやってその感覚調査しようかな、、、
とワクワクするのが、私が1人で行動する楽しみの1つだ。
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