"本物"か"偽物"か、その違いは『眠り』を与えてくれるかどうかだ。とある着物の絵付けをする人間国宝がそう言った。




先日、とある楽団の演奏を聞きに青砥まで行ってきた。

こういう演奏を無料で聞けるだなんて、なんて素晴らしいのだろうと、音楽のことはあまり分からないが聞くことだけは幼少期から好きだった私は強く思うのだが、
これを無料で行わざるを得ないというのがなんとも勿体無いというか、運営側は本当に大変だな、、、と強く思ったのである。


さて、演奏中、私は不覚にも何度か寝落ちしかけた。
しかけた、いや、しかけたのか、それともすでにしていたのか、それはどちらとも言えない。
心地よい演奏は、人を眠りの世界へ誘う。


そのまどろむ視界の中で、私は学生時代のとあるシーンをを思い出した。


確か、あれは南青山だったろうか。

着物の絵付けをする人間国宝の御方に会いに、その方の工房まで行ったことがあった。

着物の素晴らしさなんて比較的高尚なお話をし始めたのであるが、途中から酒と女みたいな話を「ワッハッハ!」と豪快に笑いながらしてくれたのを覚えている。

彼は、こう言った。

「お座敷遊びというものがあろうだろう。あれがオレは大好きでな、昔は祇園に着物を入れたあとによく行ったもんだ。

え、何が楽しいって?そりゃ全てが楽しいに決まってるだろ。でもその中でもな、気づいたことがあったんだ。本当に心安らかにさせてくれる舞妓さんと、そうでない舞妓さんがいるんだよ。単に、歌や踊りや芸がうまいってもんじゃあないさ、その違いってのはな。
何が違うって?それはな、『眠く』してくれるかどうか。その違いだ。

眠るという人間の行動はな、やはり心落ち着けていないとできないものよ。だって、心落ち着けられない人間の前で寝てみろ、知らぬ前に斬られて死ぬじゃないか。

寝てもこいつなら安心していられる、もしくは、こいつになら何されても構わない、そう思わないとだな、寝れんのだよ。それが、"本物"か"偽物"の違いだ。"本物"は、相手にとびっきりの安心感と幸福感を与えてくれるんだ。お前も、そうやって判断してみろよな。」

大学生時代の自分は、変に納得したことを覚えている。



私は、この演奏会では結構いい具合に眠りと現世の狭間をさまよった。
きっと、とてもとても安心していたのだろう。
とても、心地よい演奏だった。

私が何かで眠くなり目が閉じると、いつも、この言葉を思い出す。

(思考の逃げ道かもしれないけれど、、、)








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