徹底して居場所を"捨てる"ことができないと、自分だけの"喜び"は得られないのかもしれない。



『ただ、もし自分が日本を一度捨てなかったら、この感情を得ることはなかったのでしょうね。』

真向かいに座ってあさりのパスタを口に入れ、喉を鳴らした後の彼は、一瞬遠い目をした後に私のめを真っ直ぐに見ながら嬉しそうに、そう言った。




15ヶ国に展開し、少数精鋭で運営しながらもグローバルで50万社の顧客がいるサービスを運営する外資系企業。
その日本のカントリートップの方と1時間と少し、本日お話しした。


彼は、もともとは日本で働いていたけれども、どうしても海外で働きたくて、日本語を使わずに働きたくて、10年くらい前にアメリカに渡った。
日本の会社や家、そういうった居場所をすべて捨てて。

もはや帰ってくる気もなかったそうだ。

アメリカで放浪していたらたまたま見つけた求人、そこから面接を経て入社し働き始めた会社、憧れの海外での仕事、刺激的な毎日。

そんな中、そんな彼が日本に戻ってきたのは、いま運営する会社がアジア展開をする際、日本を任せられたから、らしい。


私は聞いた。

『もともと海外で働きたいと日本を出たのに、なんでまた戻ってきたんですか?』


彼はこう言った。

『そうですね、今の自分が日本をどう見るか、感じてみたくて。で、帰ってくるじゃないですか、もちろんお客さんもいないし、全てがゼロなんですよ。びっくりしましたね、ゼロすぎて。』

『でも、昔いろんなものを持っていた自分が感じなかったキラキラしたものを、日本で感じたんですよ。歳を経て、違う場所に行って、ようやく気づけた魅力があるんですよ。日本には。』


そしてこう続けた。

『ただ、もし自分が日本を一度捨てなかったら、この感情を得ることはなかったのでしょうね。』




自らの居場所を捨てる、、、この言葉を自分の中で反芻すると、1つの映画を思い出す。

この映画をご存知だろうか。


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『ニュー・シネマ・パラダイス』
1988年に公開された、イタリアの映画だ。

古き良きモノクロ映画の時代。映画に魅了された少年トトは、映写技師のアルフレードの仕事場に忍び込んでは、つまみ出されていた。次第に仲良くなっていったアルフレードに、トトは映写技師の仕事を習う。ただ、温和で平穏な日々はすぐに終わりを迎える。様々な事件があり、子供ながらもトトは街を出る。もう戻らないことを決めて。
そして数十年後、とあるきっかけで街のことを思い出すことになり、、、
そんなあらすじ。


なんとも、心温まる映画だ。
確か私が初めて見たのは12歳の頃。公開から10年以上した後に、いとこが見ていて一緒に見て、私が人生で初めて泣いた映画。
それから数年ごとに見ているが、見る歳によって全然違う見方のできる、毎回泣く、そんな映画。

ネタバレになるので、映画をまだ見たことがない方はこれ以降読まないでほしい。




主人公のトトは、著名な映画監督になる。自分の人生を振り返り、満足はしているのだ。
だけど、どこかあの故郷だけが自分の心のどこかに突き刺さっている、何か自分の心が欠けている、そんなことを感じながら生き続けているトト。そんな彼に、アルフレードの訃報が届く。

それを機に決心をして故郷に数十年ぶりに帰るわけだが、彼は帰ってから理解するのだ。
あの頃、昔、自分が失ったものを、そしてその故郷に残る、本当に好きなものを。もちろん人生を後悔する訳ではない、後悔はしないが、自分が本当に求めていたものが故郷にあることに気づくのだ。





この作品の中で、主人公のトトは自ら"捨てた"ものに対して様々な感情を抱く。

時には自分を責め、時には悩み、時には自らを勇気付け、時には恋い焦がれ。

その正体を、一度は捨てた場所に戻ったからこそ知ることになる。



今日会った彼も、もしかしたらこのトトと同じなのかもしれない。

もしかしたら、時には自分を責め、時には悩み、時には自らを勇気付け、時には恋い焦がれたのかもしれない。

でも、帰ってきたからこそ気づくのだ、その場所が持っているものに。


別に、特別な人に限らず、どんな人でもあるだろう。

国を超え、もう戻らないと決めた故郷に帰るだけではない。
会わないと決めた人に会う。
帰らないと決めた実家に帰る。
もう持たないと決めたものを持つ。


でも、ここでその感情を得るためには、一度徹底して"捨てる"必要がある。
一度失わないと、分からないのだ。おそらく。

失ったからこそ、分かるのだ。きっと。



『ただ、もし自分が日本を一度捨てなかったら、この感情を得ることはなかったのでしょうね。』

彼のこの言葉が、反芻する。


彼は、捨てたからこそ、得たのだろう。


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