信頼関係の欠如した単なる繋がりは、これからの時代もお金に変換され続けるのだろうか




『この人と仲良くなったら、こういう人たちを紹介してもらえると思ったので』

これを聞いた時、私は正直気持ち悪くなった。




お仕事柄、よく社外の方に会う。

スタバやエクセルシオールのようなカフェで会うこともあれば、街中のパン屋さんで会うこともあるし、駅ナカのスタンドのようなところで会うこともあるし、もちろんオフィスで会うこともある。


話す内容は様々だが、やたらと人との繋がりを強く伝えようとする方が、中にはいる。

「こんな方やあんな方にお世話になっていて、人生の恩人で、とてもよく会っていて、、、、」といった具合だ。

私に対してその表面の事実だけを伝えようとしてくれることはおそらく稀で、裏面にはだいたいいつも
「こんな方やあんな方と繋がっていて会える関係性にあるのってすごいだろ」
という意味合いが含まれている。


でも、人だから仕方のないことだとは思う。
どうしても自分を大きく見せたいこともあるだろうし、自信たっぷりに話したいこともあるだろう。
私も、そんなタイミングがないとは言い切れない。まあ、人なんて弱い生き物だ。



だが、そんな発言の後に、時々付随してくる言葉がある。

『この人脈を活かして、、、』
『このネットワークを効果的に活用することが私の強みで、、、』
『仲良くなったらその周りの人たちを紹介してもらえると思ったので、、、』



そんな場面に、今日も出くわすことがあった。

正直、気持ちが悪くなった。


まだ、内心思っているだけならそういうこともあるだろう。
それが良いとはまったく思わないが、どうしてもそのように打算的に動くこともあるのだろう。

でも、それを口に出すというのはどういうことなのだろうか。

目の前にいる相手に対して、
「あなたの周りの人を紹介してね」
「あなたのお知り合いを私のお客さんにしますから」
と裏面で伝えているようなものだ。

あなたと話すのは、あなたの周りの資源を奪うためである
と宣言しているのと同じ。

そう思われることすら考えないのだろうか。

なんとも悲しいなあと、そう思う。


そもそもいくらでも誰にでも繋がれるこの時代に、信頼関係の欠如した単なる繋がりに価値があるというのだろうか。

まあ、メールアドレスが1つ4000円で買われてどこぞの会社のリストになる、、、ということが未だにあるのもこの今という時代ではあるが、なんて悲しい繋がりなんだろうな、と。
そう思うのだ。



『この人と仲良くなったら、こういう人たちを紹介してもらえると思ったので』

そんな言葉ではなく、そんな気持ちではなく、

『相手のために』『あなたのために』『私はこれができます』

そんな言葉で、そんな気持ちで、生きていく世界が良い。


こう思うのは、偽善者なのだろうか。

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