明治の伝説的な三味線奏者に学ぶ、人を惹きつける言葉の創り方




「なかなか魅力あるプレゼンができない、、、」
「自分では分かりやすく話しているつもりなのに、なんだか相手には伝わっていない気がする」
「自分の話が分かりにくいと上司に言われるものの、それをどうして良いか聞くと"自分で考えろ"と言われてもうどうして良いかわからない、、」

そんな風に、"人に対してどのように言葉を紡ぎ伝えれば良いか分からない"、"人を惹きつけるような言葉ってどう創れば良いのだろう?"と思われる方は多いのではないでしょうか。


かくいう私もその1人。

よく弊社社長にも、『conclusion first(結論が先)がなってないね』『無駄な言葉が多い』『もっと簡潔に言ってくれない?』とよくお叱りを受けています。

※ちなみに、私以前「ありがとうございます」という言葉を多用する癖があり、それを矯正するために「ありがとうございます」と発する度に罰金を支払うという強行矯正手段を取っていたこともありました。笑


さて、ではどうやったら人を惹きつけるような言葉を紡げるようになるのでしょうか。



100年以上前に、林中という人がいました。その方を取り上げてみましょう。

彼は江戸時代から明治時代にかけて生きた三味線奏者でして、常磐津という流派の7代目家元を務めたお人。

9代目市川團十郎さんらと歌舞伎の舞台を上演したこともあるそうですが、この時團十郎さんは林中の出来栄えに感じ入り,“この人が語らなければ躍らぬ”と発言なさったそうな。



そんな彼の三味線と語りのレコード音源を、昨日聴く機会がありました。
明治39年、つまりは1906年。100年以上の音源ですね。

蓄音機が日本にやってきたのは1889年、蓄音機の専門店が初めてできたのは1899年。
音源が録音できるようになってからすぐのこの音源、とても貴重なものでした。

データ音源が手元になく、こちらにて紹介できないのは残念ですが、その音源から聞こえてくる音は100年前とは思えないようなとても鮮明でキレイな音。


昔の言葉遣いですし、すべての言葉を理解できる訳ではありません。
でも、その光景をものすごく鮮明に頭の中で想像できるんですよね。

昨日聴いた音源は、その時代の六本木あたりで打ち上げられる花火の様子を描いたもの。


地面には青々とした草原が広がって、空にはちらほらとキレイな星と輝く月が浮かぶ夏の終わりの夜。
その草原の中に、多くの人が集まりながらも静かに花火が上がるその時を待っています。
子供達も、奥歯を少し噛み締めながら、いまかいまかとワクワクしながら空を見上げていると、
「どん!」という大きな音と共に、「ヒューーーーールルル」と白い軌跡が月をめがけて飛んでいきます。
人々の視線もその軌跡を追うように上へと上がっていき、
少し音がしなくなったなと思った途端、「パンッ」と白い閃光が飛び散るのです。
人々がそれを見て、わっと沸き立ちつつ、何人かが「たーまやー!」と声を張り上げ、、、


私の稚拙な表現で描くことが憚られますが、そんな光景が頭の中に描かれるような三味線と語りなのです。

今の時代を生きる私ですらそう思うのです。
同じ時代を生きている人々は、もっとそう思ったでしょう。


この音源は、とある有名な三味線奏者の方に聞かせていただいたのですが、
実際、今の三味線奏者ではこの林中と同じレベルでできる人がいないらしいのです。

この林中が語った曲と同じ曲を語る現代の奏者さん方の音源を聞かせていただいたのですが、確かに聴き比べてみるとその違いはとてもはっきりわかります。

その情景を思い浮かべることができる鮮明度が明らかに異なるのです。



今を生きる私たちは、普段の生活の中で三味線の音を聞いたり、奏者の語りを聞くことはあまりありません。というか、ほぼないでしょう。

でも、人と会話をする、声を聞く、ということは大抵の方は日々行うはずです。

思い返してみてください。
ああ、この人の話わかりやすいな、理解できるな、本当に共感できるな、と思う時って、どんな話をされている時でしょうか。

私はこの林中の音源を聴いた時に、こう思いました。

「言葉の1つ1つがすっと自然に耳に入ってきて、その光景を鮮明に想像し、あたかも追体験しているかのような心地よい感覚に没入させてくれる」


昨日の林中の音源は、まさしくそれでして。


こうして書きつつも、自らの言葉の描き方が上記のものと随分とかけ離れていることに辟易としつつ、「それを鍛えるというためにもこのブログを書いているのよ、、もう少しの辛抱、、」と思い書き連ねております。
そんな土曜の、夕暮れ時。

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