「生茶 デカフェ」を飲んだら、人はいずれ「味覚」を失うのかもしれないと想像できてしまった。という話




あなたが最近「これ美味しい!」と思ったのはどんなものでしょうか。

先月、パートナーとの記念日に行ったフレンチでしょうか。
それとも、昨日の深夜に遅くまで残業した後に食べたラーメンでしょうか。

「美味しい!」と思うものを食べているとき、好きな人たちと食べているとき、本当に幸せな瞬間ですよね。


さて、美味しさというものは完全に個人の主観によるものですが、本日とてもびっくりしたことがありまして。

というのも、こちら。


みなさん、これ見たことありますか?

「生茶」自体はどなたでも1回くらいは無意識で飲んだことがあるのではないでしょうか。
どんなところでも見るペットボトルのお茶飲料ですね。

ですがこれ、通常の「生茶」ではなく、デカフェなんです。
要するに、カフェインゼロ。

最近ではスタバなどのカフェチェーンでもデカフェのコーヒーが出たりですとか、カフェインが入らない飲料が少しずつ増えていますね。

妊婦さんは飲まないほうが良いみたいな話がありますし、カフェイン入れると全く眠れなくなるだとか体調が崩れるという方もいらっしゃるようですので、このデカフェの流れは当然の流れなのでしょうね。


私は普段ペットボトルのお茶というものをほぼ飲まないのですが、今回は久々に自販機を使ったのと、デカフェのお茶というのを飲んだことがなかったので興味があり購入。

この味が、なんとも驚いたのですよ。




正直、もはやお茶ではないです。
(極端な私見でごめんなさいKIRINさん)

わたし、お茶の味にはかなりこだわりが強く、味覚も比較的鋭めに仕上がっていると思われますので、極端なフィルターはかかっているかと思います。

でも、もはやお茶ではありません。

なんだか、水にお茶の香りを超微量焚き込めたくらい。



もちろん、何も思わない方も多いかとは思うのです。

どんな人に聞いても大概「お茶に味の違いなんてあるの?」という反応が多いですし、もはやお茶の味なんて違いなんて把握する必要もない時代なのかもしれません。
そして、味の違いがないのなら、好きなブランドのものを買う・安いものを買う・デカフェを買う、、、という理由にて選択され購入されるものだとも思うのです。


でも、この「生茶」を飲んで明確に危機感を持ちました。
多分、今まで人が持っていた味覚というのは五感の中から排除されていくのかもしれない、と。

昨今では「自然派食品」なるものや、肉を一切食べない食生活を送る「ヴィーガン」など、もちろん本来の「美味しさ」を食すという生活スタイルや文化は形成され続けているかとは思うのです。

ですが、その一方でどんどん本来の味を消されていくものもあります。
お茶などの飲料は、最初に味を失っていく存在なのかもしれません。


時を遡ること1500年以上前、お茶は隋、今でいうと中国の四川省あたりが発祥だったと記憶しています。
日本に持ち込まれたのは、中華が唐の時代。
唐に最新の技術や文化を求めて日本から渡った遣唐使たちが「薬」として持ち帰ったのがお茶でした。

それが最初は僧侶の疲れを癒す飲み物(「引茶」といいます)として使われたり、ギャンブルとして使われたり(当時凄まじい価値のあった唐由来の器などを賭けて、お茶の味で産地を当てる賭け事がありました。「闘茶」といいます)、政治と経済を統べるツール(千利休の時代ですね)になったり。

そんな風に色々と用途は変わりつつも、その味が楽しまれてきたのがお茶でした。
「飲食」が伝統的な文化として形成されてきたのは、世界にも例がありません。


それがこんな風に、味がなくなっていくというのは、個人的にとても悲しい気持ちになりました。

そして、今後「味覚」を失うのではないだろうかということを認識してみると、とても現実味があります。
もはや、生きていくエネルギーを得るために食事をする必要性はありません。直接人体に注入すれば完了します。

また、諸説ありますが食糧も足りなくなることが可能性としてあるので、より一層「味わう」という行為はごく一部の富裕層の特権になるかもしれません。
現在飽食人口は20億人おり、飢餓人口は10億人です。でも今後どんな貧困層でもリソース問わず稼げるようになることで一部の飢餓人口は減り、かつ途上国は人口が爆発的に増え続けます。結構、食糧がなくなりつつあるのは想像できませんか?


ちょっと極端なことを考えながらも、私は自分自身の思考に対してとても嫌な気持ちになりました。
だって、飲食は幸せの大項目の1つですから。笑

ぜひ、皆さんもいろんなお茶を飲んでみていただきたいのです。
ペットボトルのお茶の飲み比べですら意外と結構味が違うものですし、茶葉から淹れるお茶は本当に全く違いますよ。

必要あらばその違いの検証などなどいつでもお付き合いしますので、ぜひご連絡をば。



そんなことを書きつつ、今夜行く予定の、神楽坂の大好きなお店『龍朋』の炒飯を脳内に思い描いてとても幸せな気分に浸る土曜の夕暮れ時。








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