日々に不安を感じる時に本当に必要なのは、「何でも話せる友人」よりも「何も話さなくてもいい友人」である。


先日、ずっと壊れていた自転車を直しました。
正確に言うとタイヤのホイールが歪んでいたので両輪変え、同時にタイヤ&チューブも変え、サドルを最新式に変え、バーテープも変えて。

というのも、今から4年前の今頃、私は自転車で1人西日本の旅に出かけていたのですよね。
その時、毎日動画を撮影してFacebookに投稿していたのですが、それが毎日「4年前の今日は〜」とタイムラインに流れてくるのです。

なんだか久々に自転車で爽快に走りたいなと、そう思って直したのです。


すると、生活が一変。
バスや電車では行きにくいところにも、すぐ様行けるようになるのです。これは私の中で革命的でした。

例えば、先ほどは二子玉川に。こちらはだいたい13分で着きます。
先週の土日は、目黒に。こちらはだいたい33分で着きます。

そして昨日は、代官山に。こちらはだいたい24分で着きます。

以下、昨日の23時くらいに代官山蔦屋のテラス席で仕事をしている時の写真です。(PCの光が異常ですね。)
今日は、そのテラス席で私の横にいた20代後半くらいの女子2名の会話を元に進めていきましょう。



私が仕事をしていると、「今日は仕事大変だったね」「うん」と会話をしながら女子2人が隣の席に座りました。

その時に、私は耳に入ってくる言葉を元に、今から仕事の話でもするのかな
と思っていたのですが。
「仕事って、大変だね。。」と片割れが話した以降、ひたすらに無言を貫き通す2人。

無言すぎて、逆に私は気になってしまうのです。だって、とくにスマホをいじるとかもせず、互いに互いのフラペチーノを飲みながら、静かにしているのです。


30分くらいしてから、片方の彼女が言いました。

「今日はありがとう。○○に今日会えて良かったよ。話さなくても一緒にいれるのって、○○くらいなんだ。ありがとう。少し、落ち着いた。明日から、また頑張るね。」


世の中には、仕事の大変なこと、嫌なこと、辛いこと、面倒なこと、避けたいことなどを吐き出したい人がたくさんいます。それだけ、仕事でストレスを抱えているということです。
居酒屋でお酒を飲みながら上司や部下の嫌いなところを話し、カフェで世の不公平さを嘆く、そんな光景をよく見ます。

それだけ、人に聞いてもらえるということはとても大事なことなのだなあと。それを見る度に思うのです。


実際、雑談量が生産性に相関するというデータもあるくらいで、その雑談、もといざっくばらんに何でも話すというのは人が生活する上でもとても重要な要素です。
人に話を聞いてもらうだけで、少し安心して生活することができるということは、よくあることです。


でも、昨日の深夜に代官山蔦屋のテラスで、彼女を見て思ったのです。
「何でも話せる友人」も大切なのだけれど、「何も話さなくてもいい友人」と無言でも共に過ごす時間というのは、本当に心地よい時間なのだろうな、と。

昨今では誰かと一緒にいてもスマホばかりいじる面々をよく見たりするので、それは何だかなあと思っていたりしたのですが、
何もせずに互いに無言でい続けるというのは、本当に信頼関係がないと成り立ちません。

通常、誰かと話している途中で無言になると、「あ、やばい何か話さないと!」と互いに焦る気持ちを募らせるでしょう。
それがないということは、互いに互いをしっかりと信頼していないと、成り立たないコミュニケーションです。


実際、この世の中にそんな友人を持つ人はどれくらいいるのでしょうか。
各所でマシンガンのように話す見知らぬ面々を目にしていると、そのように無言でい続けられる友人がいる人は結構限られるのかもしれない、、、と思うのです。


もしかしたら、日々に不安を感じる時に必要なのは
「何でも話せる友人」よりも、「何も話さなくてもいい友人」がいるということなのかもしれません。


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