『ヨガ』と『茶道』の共通項から見る、人が平穏な心を取り戻すための3つの方法




私は3月くらいから、ホットヨガのレッスンを行うLAVAに通っています。

昔ひたすらに取り組んだ茶道と最近続けているヨガでは、私の中では同じことをしているような感覚が一部あるのです。
私としては、どちらも徹底して平穏な心を創り出すことができる場として存在していて、とても面白いなあと。

ですがそんな感想を人に言うと、
「お前なに言ってるんだ?全然違うしものだし全く分からん」という顔をまず最初にされます。

ということで、ヨガと茶道の共通項とは何か、そもそも平穏な心というのはどう取り戻すことができるのか、創り出すことができるのか、そのために必要な要素を記したいと思います。


■一点に集中すること

・ヨガに関して
ヨガは比較的落ち着いたものだと思われている方もいらっしゃるかと思います。
多分やったことのない方だとわからないと思うのですが(私もそうでした)、意外とかなりきついものもたくさんあるのです。「いやいやそのポーズ無理でしょ!」というのもあります。
そんなきつい姿勢も然り、シンプルな姿勢も然り、ヨガではそのポーズは一瞬取るのではなく、その状態を維持し続けることが多いのです。5秒くらいのこともあれば、数分を超えることもあります。
その維持のためには、ブレない集中力が必要とされますね。集中力に欠けたり、わだかまりがあったりすると、すぐに姿勢が崩れてポーズを取ることができなくなります。ゆえに、集中し続けるために、よく先生方もおっしゃるのは、「一点を決めて、そこを見つめ続けて集中してください!」です。

・茶道に関して
茶道を始めてみると最初は戸惑うかもしれないシーンがあります。
それは、物を眺めるということ。
(本質的には物を眺めているのではなく、その物を通して人の感情だとか思いだとかを眺めているのですが、ややこしくなるので割愛します)
例えば、亭主(茶会にて茶を点てる人のこと)は点前中に道具を手に取る時、その道具をじっと見つめます。

例えば、お湯をすくう道具として「柄杓」というものがあります。体の右側に安置されている柄杓を右手の親指・人差し指・中指それぞれの指の腹でそっと持ち上げて、自分の前に持ってきます。お湯をすくう側を上にした状態で自分の方に柄杓の正面を向け、今度は左手の親指・人差し指・中指それぞれの指の腹で持ちます。
『その瞬間に、数秒柄杓を見つめるのです』
その後右手はそっと位置をずらし、お湯をすくえるような状態にし、手全体で柄杓を包み込むような持ち方をし、お湯をすくう動作に入ります。
この瞬間、柄杓を見つめる瞬間は、無心。ただその柄杓を眺め、心を整えています。

ーメモ
両者ともに行なっているのは、一点に集中するということ。どちらとも、集中できないとその姿勢の維持すら難しいんですよね。ある意味、強い緊張状態ですね。
そしてこの状態を解いた瞬間、緊張が解かれた瞬間は本当に心穏やかな気持ちになっているのです。

チベット仏教の僧侶たちがどのように瞑想するか、知っていますか?
瞑想の前、世の中の様々な悲しみを自分の感覚にするかのように世界と人を想うそうです。とてもつらいことが世界にはたくさんあります。死んでしまうような悲しみ、そして自らの生死も他者に委ねられてしまっていることすらありますね。そんな状態を思い起こしながら、その気持ちを一度解放し、深い瞑想状態に入るらしいのです。
緊張の度合いは違うかもしれませんが、事柄としては同じことですね。強い緊張状態を解くことで、穏やかな心を創り出します。
強い集中は、そんな心をも創る土台となるのです。

仕事でもプライベートでも、そんなタイミングはあるでしょう。自分が一番集中しやすいもので良いと思うのです。
自分が一番集中しやすいもので、徹底して集中して仕事をしたり遊んだり、その先にあるものが穏やかな心なのです。


■空間

・ヨガに関して
ヨガは、どんなところでもできます。山でも川の辺りでも、公園でも家でも。
ですが、私は基本的にはこのLAVAでしかしていません。なので、今回はこのLAVAな空間についてです。
LAVAでは各スタジオでレッスンがあるのですが、どれも初めて入ってみるとこんな感じなのかと驚きます。
ほんのり暗い室内、わずかに差し込む光、ちょっと伸縮性のある床。目を閉じると、まぶたを通してほんのわずかながらに目に光を感じる瞬間がある。
それがLAVAにおける空間。

・茶道に関して
茶道は、基本的に茶室で行います。中でも、私は小間(つまり小さい茶室)で行う茶会がとても好きでして。
その空間は、少し暗い室内、人工光などなくわずかに外から漏れて入ってくる日の光、踏むとほんの少し沈むような畳。目を閉じると、まぶたを通してほんのわずかながらに目に光を感じる瞬間がある。
それが茶道における空間。

ーメモ
両者ともに、その空間の状態がとても似ているのです。
これは人によって異なるのかもしれないですが、私はこんな要素を持つ空間が一番心落ち着くのです。これはたまたま茶道をやってみてその空間が好きになったというだけかもしれませんが、1人1人平穏な心を生み出すことができる空間があるかと思います。
それをぜひ探してみてください。

仕事でもプライベートでも、ご自身の好きな空間というのはあるでしょう。そんな好きな空間にいる時間をどうやったら増やすことができるのか、どうやったらそんな空間を自分がいるところ全てに創ることがで切るのか、そこらへんを考えていくと面白いかもしれません。


■決まった型があること

・ヨガに関して
ヨガには、ある一定の決まった型があります。
LAVAでは前にいる先生と同じ動作を生徒たちがするわけですが、その型に慣れたり覚えると、個人ごとに多少変化させ始めるという現象が、一部の生徒たちの中に起きてきます。
腰のひねり具合を少し強くする、手を自分がもっと気持ち良いところに伸ばす、自身が一番平静を保てるところに肩を合わせる、など。

・茶道に関して
茶道でも、お点前という基本的な型があります。
まずはそれに沿いながら学ぶわけですね。最初はかなり複雑怪奇で難しいのですが、次第に慣れたり覚えると、次のお点前に進みます。
そこでまた新たな複雑怪奇に出会うことになるのですが、すでに慣れ覚えたお点前だと、自分で一部その場その場に最適化しようとします。
というのも、茶道では茶会にいらっしゃるお客様をもてなすことが重要。
お客様の属性、その時の状況で最適なお点前というのは変化するわけです。

ーメモ
こういった「決まった型から逸脱していくこと」を、日本の古い言葉では『守破離』と言います。こちら、『茶話指月集』という、千利休の逸話を後世が記した本なのですが、この中では『守破離』について、「守は下手、破は上手、離は名人。」と記されています。
『守』は型を真似ること、モデリングするとでも言いましょうか。『破』は型を破って、新たな要素を持ち込むこと。『離』は型を離れて自らの型を形成すること。

ヨガも茶道も型があるからこそ、熟練すればするほど自己更新を始めます。その型があり、『守破離』の道を辿るというのはなんとも満足感に溢れ、自己効力感に溢れていると思うのです。だって、自分を良くしていく変革のプロセスなのですから。
ただ、今の時代、常に新たなことに取り組むことは大事ですが、新しいことや変化には痛みが伴いますよね。そんな痛みを回復させたり、落ち着きを保つために、この『型』に立ち戻ることができるというのは平穏さを保ちます。この型が前提にあるということで、何があってもいつでも根本に立ち戻ることができるのです。

仕事に置き換えてみますと、
「自分はこれならとくに何も考えずにスムーズに行うことができる」
「これなら満足できるクオリティをいつでも創り出すことができる」
そんなものがあると、この『型』に当てはまるかもしれません。

プライベートに置き換えてみますと、
「みんなで一緒にフットサルをしている時が、何よりスッキリするんだ」
「私は小説を読んでいる時は本当にほかに何も考えずに過ごすことができるんだ」
こんなものも『型』になるのかもしれません。


いかがでしょう。
上記3点、『一点に集中すること』『空間』『決まった型があること』を自分の要素として取り入れていくと、きっとご自身の心に変化するところがあるのではないでしょうか。

ぜひ、試してみてくださいね。

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