最新の名著である『GIVE & TAKE』の世界観は、遥か昔、仏が語った『三輪清浄』の世界観と同じである。




弊社エール株式会社では、組織の世界に『GIVE & TAKE』の生態系を作っていきたいと考えている、それは以前のどこかのブログで記しました。

日本で捉えられている『GIVE & TAKE』は、お互いにギブして、お互いにテイクして、そういう等価交換をしっかりやっていきましょうね、というニュアンスのようですが、
アダム・グラントさんの『GIVE & TAKE』では全く異なることが書かれています。

世の中にはギバー(常に与える人)・マッチャー(与えた分もらう、もらった分与える人)・テイカー(常にもらう人)という3種類の人がおり、ギバー達で集まり常に他者に与え続ける生態系を作ることが、全員の幸せを作っていきますよ、と。

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本) 

細かく書くといくらでも書けるので割愛しますが、我々はそんな生態系を組織の世界で創っていきたいと思っているんですね。


常にそれを考えながら生活している中で、最近ふと思い出したことがありました。

正確には茶道の言葉、というわけではないのですが、よく茶室に飾ってある掛軸に書かれる言葉の1つに、『三輪清浄(さんりんしょうじょう)』という言葉があります。
この言葉、よく茶室で見かけて、「どんな意味だろう?」と思い調べたことが昔あったのですが、まさに上記の『GIVE & TAKE』の世界観と同じなんですよね。


これ、どんな意味かお分りでしょうか?
(むしろ分かっていらしたらかなりマニアックだと思いますが)

『三輪清浄』とは、こんな意味があります。
"施す人、受け取る人、施す物がいずれも清浄でなければならない"


ここでいう"施し"というのは、何を示しているのでしょうか。
普段の生活ではあまり使わない言葉ですよね。

こちらは仏教用語として捉えるとイメージしやすいかもしれません。
"施し"というのは、お布施のことです。お布施というと「お金」イメージがあるかもしれませんが、本来はお金でなくとも、物でもいいし、何かをしてあげることでもいい。人のためになることの全てがお布施なんですね。

『GIVE & TAKE』で語られるギバーの生態系は、まさにここで言うお布施を常に相手のために与え続けることにあたります。


ですがこの『GIVE & TAKE』、人に語る時によく聞かれることがあります。

『私って、人にあげられるものなんて持ってないと思うんだよね。それってどうしたらいいのかな?』


実際、この『GIVE & TAKE』の本の中では与える物自体のことはあまり言及していません。
でもこれ、『三輪清浄』の世界観だと説明することができます。

この"施し"の部分に関して、『無財の七施』という説法がありまして、こんなことを言っています。
"財産や物理的な物がなくても、施しというのは様々な形でどんな人でもできることなんだよ" と。

ちなみにここで言う『七施』というのは、愛語施(優しい言葉)・眼施(慈愛に満ちた眼差し)・床座施(人に譲る)・身施(行動することで尽力する)・心施(心配りや気遣い)・房舎施(思いやり)・和顔施(笑顔)を示しています。

つまり、相手がとても目上の方だったり、あまり存じ上げない方だったり、そもそも自分が何をできるかわからないという方だったり、
そんな方でも、自分が少し相手のことを想えばできることを丁寧に行うことで"施し"つまり"ギブ"することができるということです。
『三輪清浄』の世界観も、『GIVE & TAKE』の世界観も、自ら体現することができるということです。


時代は変わるとも、本質は変わらない。
よく言われることかもしれませんが、かたや大昔からある『三輪清浄』、かたや最新の名著である『GIVE & TAKE』。
人が生き続ける限り、変わらない部分ってありますよね。

そういうところを大切にして生きていく、そしてそんな世界観を構築していく。その一助になれればなと、そんなことを思いながら日々働いているわけです。

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