『一期一会』、茶の湯の道より始めたり




「一期一会」という言葉があります。
あまりにありふれた言葉ですが、これが茶道的見地から生まれた言葉だと、みなさんご存知ですか?

新明解四字熟語辞典ですと、こんな解説がなされています。


一期一会 - 新明解四字熟語辞典
一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう。▽千利休の弟子宗二の『山上宗二記やまのうえそうじき』に「一期に一度の会」とあるのによる。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間の意。


こちらでも記されているように、この「一期一会」という言葉は『山上宗二記』という書物の中で語られている言葉です。ただ、千利休の弟子の本ではありますが、この言葉自体を発したのは千利休本人だと言われています。

実際は、こんなことを言っていたそうなのです。

『常の茶の湯なりとも、路地へ入るから立つまで、一期に一度の茶会の様に、亭主を失して威づべきとなり』

これは、普段の茶会であっても、一生に一度のめぐり合わせという覚悟で最初から最後まで亭主(茶会にてお茶を点てる人のこと)に深く敬意を持ちましょう、という意味ですね。

※ちなみに、この「一期一会」という言葉を広めたのは『山上宗二記』ではなく、井伊直弼(日米修好通商条約に調印した人物で、桜田門外の変で暗殺されたことで有名)が著した『茶湯一会集』の巻頭でそのタイトルについて「一期一会」という言葉を使って説明したことで世の中によく知られるようになったらしいです。


冒頭にも述べたように、この言葉自体あまりにも使われすぎて陳腐化している感は否めないですが、本当にこの通りだなと思うことが多いのもまた事実です。


昨日だけで言っても、私の中で一生に一度のめぐり合わせということが何回もありました。一例を以下に挙げていきましょう。

・今朝は大親友との定例朝ごはん(金曜朝に実施)がなかったので多少しょぼくれていたのですが、いつもと違い7時間くらい寝ることができまして、「やはり寝るってのは幸せなことですのう!」となんだか心地よく感じながら起床

・2年ぶりくらいに会う先輩と再会し、「昔は感じ取ることができなかったであろう人の痛みというのを、随分と一緒に感じ取れるようになったな」としみじみ感じる

・ゴルフのレッスンを始めて、ゴルフクラブにしっかり触れるのも3回目(1回1時間レッスン)という今日において、なんだかかなり飛躍的に改善を続け、120yardは飛ぶようになった(あまりにまだまだすぎるけど、少しずつ進歩していて嬉しい)

・帰宅して放映されていた『サマーウォーズ』の中でおばあちゃんが各所に電話をしているシーンを見て、やはり人に対して勇気をもってもらう、そのためにできる上限を少し超えたところで行うというのはあまりに大切すぎますよねえ!と感激(最近もはや全ての映画が勇気を持つための背中を押す機能を持っているような気がし始めています)

・昨日の『another sky』、今回は稲森いずみさん。
毎度毎度、1個人のなんとも素敵な気持ちを切り取ってくれて本当にありがとう!と言いたくなるような精緻さの番組で、見る度に力をもらえるような気がします


などなど。
何もかもが、今日でなければ、その時間でなければ、私でなければ手に入れることができなかった素晴らしい体験。


今この時代、そこに人や物が在ることが当然だと思ってしまうくらい、恵まれた生活を多くの人が送っています。
だからこそ、今もう一度『一期一会』を日々感じながら生きたいものだなあと、強く想い願うわけです。

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