情報化社会は、自分の代わりに結果を出してくれるわけではない。



先日、画家をしている友人と一緒に国立国会図書館にいた時のこと。
彼が図書館内の蔵書などなどを検索している時に、こんなことを言っていた。

「こういう風に昔の本とか絵とかが見れるのって、幸せなことだよね。無理やり根気強く探さなくても、タグづけさえされてれば単語を入れれば出てくるわけだし」

その時ふと、「他の国の図書館の蔵書とか保存物が見れたら面白いなあ、、、」と内心思ったので調べて見ると、

普通にあって驚いた。


例えば、大英図書館。
1973年に設立され、世界中の貴重な資料が集められている世界有数の図書館であるが、なんと17〜19世紀の頃の蔵書のスキャンデータが見れるのだ。


それを告知する記事がこちら。

A million first stepsーThe British Library
http://britishlibrary.typepad.co.uk/digital-scholarship/2013/12/a-million-first-steps.html


そして、その画像はflickrという画像収集ツールにて公開されている。

The British Libraryーflickr
https://www.flickr.com/photos/12403504@N02





これ1つ1つでは、さして重要な絵でも文字でもないのかもしれない。
でも、なんでこんなにも心踊るのだろうか。

これ1つ1つ、書いた人がいて、書いた人にはそれを書いた理由があって、書いた時に思っていたことがあって、それをさらに見る人がいて、その見る人はまたそれに対して何かを思って、、、

そう考えていくと、どれもこれもとても愛らしい血の通ったものに見えてくる。


このように、イギリスの図書館にある些細な作品ですらすぐに見ることができる時代になってきたのである。

 今ですらこうなのだから、未来にはきっと、世界中のもっと多くのものがいつでもどこでも見れるような状態になるのだろう。
そう考えると、ワクワクしないだろうか。



ただ、それは同時に情報を得ることに対しての価値がなくなってくるということでもある。

実際、昔と比べてどうだろうか。

・会いたいと思った人は検索すればだいたい出てくるし、いつでもどこでも連絡をすることができる。
・世界中どこにいてもクラウド上からいつでも情報を引っ張ることができ、仕事もどこでもでいるようになっている。
・何か美味しいものを食べたい、行きたいところを探したい、そんなことなんて、言葉を検索ボックスに入れれば数秒で完了することができる。

これからも分かるように、情報を得ること、それ自体はすでにあまりにも簡単なものとなり、かつほぼ金銭を必要としない状態になってきている。
それが今だ。


そんな時代において、何が起きるか。

「本当には知らないのに知った気になって、現実は何も変わらない」という現象である。

例えばよくあるケースだと、
・起業セミナーに行って起業に大切だと言われる情報を手に入れるも、その情報を手に入れる時間ばかりで実際にはうまくいかない
・記事や本などを読み続けるも、とくに行動として成果として何か起きるわけでも、新しいことが自分に始まるわけでもない
・多くの人に会って、中にはその界隈で有名だと言われる人に会い続けるも、何か自分の身に何か起きる訳ではない


知るのは簡単。

だが結局は、知っただけでは何も変わらない。
実際に自分で手を動かして、足を動かして、頭を使って、失敗して、また手足頭を使って、また失敗して、泥水の中を這いながら、血を吐きながら一歩一歩踏み出さないと、何も変わらない。


変化を生むためには、自分でやるしかない。
どれだけ情報を得やすい時代になっても、それは変わらないのだ。

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