「仕事は楽しむものではない」という考えの上司は、部下の楽しさ自体も、そしてその先の部下たちの楽しさも奪う。




『自分が仕事で何を楽しいと感じるか、それを知ることってすごく難しいと思うんです。』

先日弊社で開催したイベントの参加者、とある大手電気メーカーの方が、こんなことを言っていた。

聞いてみると、彼女の上司は全員"仕事は仕事、プロフェッショナルは楽しさなんてものに左右されない、むしろ楽しさなんて感じなくて良い"というタイプだったようで、彼女も一時期そのように楽しさなんて感じずに働いていたとのことだった。
楽しさがない時の話をしている時は、随分と辛そうな表情。


でも、ふと学生時代の友人に連れられて社外に出てみて唖然としたことがあったと、表情を明るくしながら言ってくれた。


『他の会社のお手伝いをさせていただいたんですけど、外の世界では、仕事は仕事、と割り切っておらずに、仕事もプライベートも公私混同して楽しんでいる方がいるんですよね。それがすごく衝撃的で。だって、そんなこと今までずっとありえなかったですから。』

よくよく聞いていくと、社会人になりたての頃に上司から
『仕事は仕事だ。そもそも楽しむものでもない。給料分働け。』
と言われていたことがとても強く脳裏に残ってしまっていて、自分から楽しさを見つける感性すらもなくなってしまったと、彼女は言っていた。


1人が「楽しさはいらない」といえば、その影響を受けて周りの人が「楽しさはいらない」に慣れようと慣れようとしていく。(上司部下の関係性はとくに)

だが、それはその人だけで止まらない。もはや、影響を受けた側も気づけば影響を与える側になってしまうのだ。
こうして、「楽しくない」は派生していく。


「楽しくない」が派生していった組織ほど、つまらないものはない。そして同時に、これほど罪なことはない。
人から感受性を奪う機能を果たしてしまう。


では、いかに「楽しむか」そこらへんをまたまとめてこちらに書き記そう。



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