なぜ、最新であるべき『伝統』が最古のものに成り果てたのか。



昨晩、私が昔お手伝いしていた『和える』が「ガイアの夜明け」に特集されました。


こちらの代表の矢島里佳さんの元で1年くらい働いておりまして、とてもとても感慨深く。
私がいた頃は創業から2年目くらいでして、その時から他のメディアさんにもたくさん登場しているのですが、こうして卒業した後も画面で見れるのはとても嬉しいのです。


さて、『和える』と検索してみるとこんな検索結果が表示されます。


「赤ちゃん×伝統工芸」ということで、お子さん向けのプロダクトを伝統工芸という切り口でやっております『和える』なのですが、この会社のやりたいこととしてこちらにも表示されているのが

"日本の伝統を次世代につなぐ"

この考えにとてもシビれまして里佳さんに会いに行き、「無給でいいので働かせてください!」と頭を下げて言った5年ほど前がとても懐かしいですね。


さて、彼女も茶道と華道を学んでいたからこそ、この日本の伝統の可能性、美しさ、儚さなどに気がついたのだと思うのですが、この世界の中に少しでも足を突っ込んだことのある方なら同じく思うかもしれません。

あの、あまりにも脚色された『伝統は守るべきだ』という考え方。

最初は、その素晴らしさを伝えていこうという純粋な気持ちだったと思うのですが、もはや『守る』ことが目的になり、何も変化させないことが良いことだという考えが一部蔓延していたりします。

茶道に関して言うと、その点前の形だったり、お道具であった理、着物だったり、そういう茶道に関わるもの全てにおいて、昔から続く物事のみを踏襲して使用しましょう、新しいものなんてもってのほか!というような考え方です。


とはいえ、『伝統』ってなんだか何を指し示しているかよく分からない言葉ですよね。

では、果たして『伝統』とはどんな言葉なのでしょうか。


まずは定義から。『伝統』と調べてみると、こんな言葉が挙がります。

ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること。「歌舞伎の伝統を守る」「伝統芸能」
ーデジタル大辞泉

ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。 「民族の-」 「 -を守る」
ー大辞林 第三版

「守る」という言葉がここでも出てきますね。


では、いつ発生した言葉なのでしょうか。

諸説あるようですが、『伝統』と言う言葉を人が使い始めたのは明治時代になってからのようです。よくよく考えてみると、それはそうですよね。
安土桃山時代に千利休が『茶道は伝統である』だなんて言うわけがありませんし、どちらかというと最新の考え方や事象だと思うのです。
(その時の最新である「禅」的な考え方が、今になってまた流行っているのはなんだか面白いですね。)

ですが、そもそも『伝統』と言う言葉が生まれた大元になったものがあるはずです。

それは何か。

『伝燈』という言葉だそうです。

これ、仏教用語だそうで、お釈迦様が亡くなる時にお弟子さんたちが「お釈迦様が亡くなられた後、私たちは何を拠り所にして生きていけばいいのでしょうか」と問いた時の返答が元になっているとのこと。
そのお返事が、こちら。

「自燈明、法燈明ー仏の真理や教えを志す自分の心を拠り所、燈火にしなさい。そして、私の説いた教えを燈明にするのです」

この言葉があるからこそ、仏教では火や燈火をとても象徴的に使用しているそうです。
その象徴の1つとして、『伝燈』という言葉が作られました。
"師から弟子に教えが伝えられること"をいいます。

そして、時代を経て明治時代に突き進む中で、西洋文化が押し寄せる際に、それらの新しい文化と古くから続いてきた文化とを区別するための言葉として『伝燈』が使われるようになりました。
ただ、当時は廃仏毀釈の時代なので、仏教観の強いこの言葉を捨て、『伝統』という言葉をあてはめました。


こういった歴史があり今の『伝統』という言葉があるわけですが、その『伝統』がただ守られるべきものではないという象徴的な事があります。


比叡山延暦寺をご存知でしょうか。
1200年前に最澄が建てたお寺ですが、こちらには「不滅の法燈」と呼ばれる火が1200年前から今に至るまで灯っています。

『あきらけく 後のほとけの み世までも 光り伝えへよ 法のともしび』

この燈火のように、未来永劫、仏の教えが世の闇を照らして人を導きますようにと言う願いを込めた歌と共に最澄が灯した火です。

これ、比叡山の開山以来一度も消えていないそうなのです。実に驚きですよね。


みなさん、火を灯し続ける時に必要なものをご存知ですか?
イメージしていただくと分かりやすいのですが、点けた蝋燭は、放置していればいずれ消えてしまいます。
この「不滅の法燈」も同じ。放置すれば消えてしまい、1200年間が途切れます。

守り伝えていくために欠かすことのできないこと。それは、常に油を注ぎ続けることです。常に油を注ぎ続けることで、その火をこれからの未来に向かって灯り続けます。

※油を注ぐのを忘れたらどうなるでしょう?火は消えますよね。それが「油断」という言葉の始まりらしいですよ。


これこそが、『伝統』の本質なわけです。昔と同じものをひたすら守っていくことが大切なわけではありません。
最初の思いを継ぐためには、常に新しい油を注ぎ足すことが必要なのです。


昨日放送された『和える』は"日本の伝統を次世代につなぐ"ことを今後も続けていくでしょう。
ただ、それは昔と同じものをつなぐわけではありません。

私は昔一時期しかいなかった身なのですでに知らないことのほうが多いと思いますが、常に昔に新しいものを"和えて"、新しいものを作っています。
もともと会社名である『和える』という言葉は、異素材同士がお互いの形も残し、お互いの魅力を引き出し合いながら一つになることで、より魅力的な新たなものが生まれることを指しているのです。

http://www.aeru-shop.jp/


今もよく覚えています。代表の里佳さんが私にいつも言い聞かせてくれていました。

『勇気くん、伝統は守るものじゃないよ。常に新しい違うものを取り入れて創っていくもの。私たちは、それをこの「和える君」を育てることで創っていくの。これからの子供たちのために、つないでいこうね。』


燈火をそのまま残し守るのではなく、少しずつ油を継ぎ足しながら、創り伝えていく。
それが『伝燈』もとい『伝統』であるならば、私はその油たる『未来』を注ぎ続ける人間でありたいなあと、いつも思うわけです。

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