『継続は力なり』を信じて、結果的に力がついた気があまりしていないあなたへ。




『継続は力なり』

そんな言葉をお客様とやりとりをしている中でもよく聞きますし、ブログを毎日100日以上続けていたり、お茶のことを毎日書き続けている中で、この言葉をかけられることが私自身多くなってきたような気がしています。


この言葉、実用日本語表現辞典で調べてみると、こんな意味だと定義されています。

続けることの重要性、弛まず挫けずに続けていくことの大切さを端的に述べた表現。格言。いくつかの意味合いに解釈できる。
・ 個々の成果は微々たるものであっても、地道に成果を積み重ねていけば、やがて大きな事業を達成できる。目標を達成できる。
・ 今は実力不足であっても、挫けずに修練を積んでいけば、いずれ大成できる。
・ 物事を成し遂げるまで諦めずに取り組み続けるということは、それ自体、優れた能力のひとつである。
ー実用日本語表現辞典


確かに、継続しないで単発だけで何かを成すことなんてできないですよね。

この言葉が大切だと認識する人が多いかとは思いますが、とはいえ継続するということはとても難しいものです。

「まあ今日はいいか、、、」
「また明日から頑張ろう」
「やっぱり、自分が選んだこの道ではなく違うところで続けた方がいいのではないか」

こんなことを思い、途中で辞めてしまうことが、生きているとどうしてもあります。


さて、ここで1つ疑問があります。
継続すれば誰でも力をつけることができるのでしょうか。

継続することで力をつけることができるのなら、もはや有り余るほどの力を秘めた人が続出してもおかしくはないと思うのですよね。
だって、誰しもが働き続けているわけじゃないですか。誰しもが生活し続けているわけじゃないですか。

でも、そこまで継続することで結果、力がついていると思っている人も、その継続に対して満足している人も、そこまで多くないのでは、そう思って止まないのです。

そのような認識をしているがゆえ、そして100日以上に渡り毎日ブログを書いているからこそ異議を唱えたい、とも思うのです。
果たして、『継続は力なり』なのでしょうか。



最初に、他の言葉でこの『継続は力なり』を見ていくことで検討していきましょう。
継続することで力がつくということを論じている言葉が、他にもいくつかがあります。

例えば、『量質転換』。
一定量を積み重ねることで、質的な変化を起こす現象のことです。

確かに、これはそう言えるのかもしれませんよね。
やり続けるからこそできるようになることがあると。
仕事の中で、上司たちからこれを言われて育った方も多いのではないでしょうか。


例えば、『PDCA』。
仕事を効率的に遂行するためには、Plan→Do→Check→Actionというサイクルがありますよ、という理論のことです。

これも同じく、働いたら研修のタイミングや上司からよく言われることかもしれません。
この過程を踏むからこそ、うまいことビジネスを回せるし、成長できますよね、という。


例えば、『3年で一人前』。
よく1万時間やることでその内容をとても深く理解することができるという話です。

転職市場を見ていると「3年」という単位をよく見ますし、実際社会人になって3年で転職する人が急激に増えます。しかも、学生時代から「3年やれば、、」ということで一区切りに考えている方も多いかと思います。


例を3つ挙げました。
これらは、確かに正しいのでしょう。

継続することで、質が増していく。
継続することで、効率化していく。
継続することで、成長し一人前になる。

そう捉えることはできます。


ですが、同じ継続をしている中でも、差が生まれます。
それはなぜでしょうか。


1つ、その答えを記した方をこちらで紹介しましょう。

梅原大吾さんという方をご存知でしょうか。
日本初のプロゲーマーとして世界で活躍し、常にトップを走り続けている方です。

彼が有名になったのは、以下のストリートファイターの試合の一場面。
見てもなかなかわからないかとは思いますが、まずはこの動画を音有りで見てください。
あと一撃食らったら負ける、という場面で、彼は奇跡的な逆転劇を繰り広げます。最後の観客の大歓声がその凄まじさを物語っています。




なお、そのすごさを紹介したのが以下の動画でして、興味のある方はぜひ。




彼はこのように誰もが成しえないような攻防を一回ではなく、常に繰り広げて最後には勝つ。要するに、勝ち続けている方なのですが、彼が書いた『勝ち続ける意志力』という本の中に、そのためにやっていることが記されています。

それは、『常に自分が取り組んだことのないことにチャレンジしてみる』ということです。

彼は、自身が得意な戦法や得意技の練習をするのではなくて、あえて苦手な戦法をひたすら練習してみたり、ゲームが更新された時にまだ誰もやったことがない技をひたすら練習するということを常にしているそうです。

新たなことに取り組まずに続けていたら、次第に他のことに取り組めなくなります。新しいテクノロジーを知らねば、自身が持つテクノロジーは古いテクノロジーになります。自身ができることを続けていても、新しいことができるようになるわけではないのです。


勝ち続ける意志力 (小学館101新書)



話を戻しましょう。
上記の『量質転換』にしても、『PDCA』にしても、『3年で一人前』にしても、その継続によって差が生まれるという話をしました。

その差が何によって生まれるのか。
梅原さんの感覚を踏襲するなら、それは『常に自分が取り組んだことのないことにチャレンジしてみる』ということではないでしょうか。

ただ同じことを惰性的に続けていても何も変わりません。
常にほんの1mmでもいいから、0.1%でもいいから、新しいことに取り組んでいく、それを怠れば怠るほど、『継続は力なり』ではなく『継続は後退なり』と言えるのかもしれません。



最後に、600年ほど前に能を大成した世阿弥の言葉で締めくくりましょう。

『往するところなきを、まづ花と知るべし』

停滞しない流転の最中にこそ花は生じる、という意味です。

もっと噛み砕きましょう。
常に変わり続けるからこそ、そこに良い結果が生まれる、そんな意味です。

能の始まりを作った彼だからこそ、「常に新たなことに取り組んでいかねば良き能は創れぬ」
そんなことを考えていたのでしょうか。




ー記述後記

茶道は、江戸時代から明治時代に入る過程でターゲット層を有力者から大衆に変更するという大きなチャレンジをしました。それはある意味成功したのですが、それと同等の大きなチャレンジをすることがなく、この平成の世まで続いてきてしまったのかもしれませんね。
茶道に限らず、先日記した以下の記事のように、日本の古来からの文化は全て同じく、『常に自分が取り組んだことのないことにチャレンジしてみる』ということに取り組めていなかったのでしょう。
これからその波を作っていく、そんなことがしたいなと、思うのです。

■最新であるべき『伝統』が最古のものに成り果てたのか。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/08/blog-post_23.html

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