五感の中でも一番強い感覚を認識することが、自らの生活を変えるかもしれない。




昨日、昔から付き合いのある友人と炉端焼きを食している時のこと。

「そこまで会話の内容覚えてるのっておかしくない?」
と言われたことをここに記そう。


どういう流れかと言うと、、、
その炉端焼きのお店にて、目の前に鮮度の高い鯛や海老などなど美味しそうな魚介類が並ぶ中、私は彼女と水族館で一緒に泳ぐ生魚を見た時の会話を思い出した。

『魚ってさ、意外と怖いよね。なんかお刺身になってたりお造りになってたら違うんだけど、その水の中で生きようと必死に泳ぐのを見てると、なんだか怖い。とにかく怖い。』

昨日のそのタイミングでは、「そんなこと昔言ってたよねーこれだと大丈夫かな」と私から伝え、たわいのない雑談だと思っていたのだが、その直後に冒頭の意見をいただいた。

「そういう風に、昔誰それとこんな会話をした、あそこでこんなことを話し合った、みたいなのってかなり会話に出てくるよね。それって、覚えていられる?おかしくない?」と。


それを聞いた時、「、、、なるほど、確かに。」と手を打った。
思い返しても、私はよく様々な方との会話の内容を一部鮮明に覚えていて、それを今現在の会話で使用することが多くある。

仕事でも、「○○さん、あの時この事案についてはこういうように対処すれば良いって言ってたと思うんですけど、時期変わったからこう変化してきますかね?」とか。
友人と会ってる時でも、「そういや1年くらい前に会った時はああいうことに困ってたけど、最近はどうなの?解消した?」とか。

こういう風に、結構昔の言葉を引用するケースが多い。


最近のブログでも、以下の2つなどはまさしくそれだ。今も結構鮮明にその時の会話を覚えている。

■とある上場企業の役員が、「自分の仕事の先が見えてしまった時は、"好奇心"を掴む力が必要だ」と言った話。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html

■とある有名古本屋の元NO.2がこう言った、「NO.2は最高のスクラムハーフであれ」と。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/07/no2no2.html


私は、"聴覚"による記憶が強いのだろうか。


改めて、記憶について五感という軸で考えてみよう。

私は受験勉強的な参考書の暗記など、文字の記憶が得意だと感じたことがない。
どこかの観光した先の視界など、風景の記憶が得意だと感じたこともない。
絵画などの作品も同じくだ。その記憶が得意だと感じたことはない。

これらは全て"視覚"を通した記憶だ。
私は"視覚"を通した記憶が得意でない可能性が高い。


、、、と考えを進めようとして思うのだが、五感全てについて自らの得意不得意を認識していると、結構生活って変わるんじゃないか?と。

視覚での記憶が弱く、聴覚での記憶が強いのなら、何か試験勉強をする時は自分で発声したり他者が話しているものを聞いたほうが記憶できるのだろうし、
何か出来上がった資料を見るよりも、その資料がプレゼンで発表されているのを聞いたほうが自分の身に落ちてくるのかもしれない。

実際これがどうなのかは分からないが、この仮説をたて、ちょっと生活してみようかと思う。
(なんだか、大好きな『ナルト』っぽくて我が中2精神がくすぐられる。人は自分が得意な性質『火遁』『土遁』『水遁』などをそれぞれ持ち、その性質に合わせた忍術を得るべきだ、という話。)




ちなみに、昨日のお店はこちら。
冗談抜きに、美味い。5年ぶりに行ったのだが、20歳の時によくこんなお店行ったな、、、と自分を褒め称えたい。

■田舎家
http://www.roppongiinakaya.jp/jp/



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