「子供に礼儀作法を学ばせたいから茶道教室に通わせる」は正しい選択なのか?


先日、スターバックスにて仕事をしている時、横にいた奥様方のお話が耳に入ってきました。
「娘にはしっかりとした礼儀を身につけてほしいから、茶道教室に通わせ始めたの!」

すると、周りの奥様からは、
「私のとこもそうしようかしら」
「やっぱり、おしとやかさって大事よね」
「姿勢良くなりそう」

などなど、声が聞こえてきます。


さて、これは果たしてその通りになるのでしょうか。

世の中にある図式として、
「茶道=礼儀」
「茶道=おしとやか」
「茶道=丁寧」
「茶道=お嬢様」

みたいなことが良く言われているかと思います。


ただ、私の持論としては、これ半分くらい間違っていると思ってまして。
今日はそれについて書いていきましょう。


■礼儀や作法だけを学びたいのなら、普通にマナー教室にでも行けばいい

昨日のブログ(以下記載)にも書きましたが、茶道を学ぶというのは、かなりの時間・労力を割くだけでなく、簡単に言うと嗜好品みたいなものなので、お金もかかるわけです。

ー現代の茶人たちが茶の道を歩むために、いつもしている3つのこと。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/08/3.html

茶道教室に月に2回くらい行くとしましょう。
覚えることもたくさんあるわけです。でも、月に2回だなんて少ない回数だと、そりゃまあ忘れるわけです。毎回覚えて忘れてを繰り返しながら、かなりの時間をかけて進んでいきます。
自身の最低限のお道具を揃えるのに1万〜2万、お月謝で1万〜2万、時々行く茶会で1回につき数千円、自身の茶会ではお着物を着たいとかいうとピンキリですが数万〜無限、これくらいは最低かかるわけです。

やればやるほど、全てのコストが増していきます。
単に礼儀や作法を学びたいのなら、それだけに特化したところに行ったほうが良いでしょう。


■気持ちを発現する型でしかない礼儀や作法のみを習得しても、生活スタイルの異なる現代において適用できない

さて、とはいえ茶道にて礼儀や作法を学ぶんだ!という時にぜひ考えていただきたいのが、礼儀や作法がなぜ生まれてきたのかということ。

かなり簡潔に書きますが、『相手を想う気持ち』を表現するために生まれたのが礼儀や作法です。
そこを理解せずに、把握せずに礼儀や作法を学んだらどうなるでしょうか。

その限られたシチュエーションでしかその礼儀や作法を活かすことができません。
(根本的に、礼儀や作法の型だけで思考行動している場合、それは畳の上でも即座に分かるのですが)

というのも、生活スタイルの変わった今、昔の生活スタイルに即して形成された茶道という場において存在する礼儀や作法だなんて、日常生活の中では基本的に陳腐化します。

茶道という世界は本当にタイムカプセルのようで、昔あった姿をそのまま今に残しています。昔は、それも普段の生活だったわけです。着物を着て、畳の部屋があって、床の間に掛け軸を飾り、お香を焚きながらお茶をする。それが生活の中にあった時代もあるわけですが、今は違います。
明治維新以降、そして大戦以降、生活スタイルは激変し続け、もはや上に記したような生活は日常ではありません。生活が変われば、その場に必要な礼儀や作法も変わる、そう思いませんか?

実際、畳の上での礼の仕方や歩き方だなんて、私は茶道の世界や他の伝統文化の世界以外でやったことがありません。
普段の仕事の中で畳の上にあがることはないですし、椅子に座りながらその礼をするのはかなり異色に見えるでしょう。歩き方も、使っていたらかなり奇妙に映るでしょう。

そう考えると、茶道で学んだ礼儀や作法は、その型・そのスキルだけではどこにも活かすことができないわけです。


■それでも仮に茶道で礼儀や作法を学ぶのなら、どうしたら良いのか

基本的に礼儀や作法を学ぶために茶道をするのは、オススメしません。
その為にすると考えて長続きした方は見たことがありませんし、正直、礼儀や作法はつかないと思ったほうが良いです。茶道の時だけそれを上辺でやっても、茶道の世界から出た日常生活では言葉遣いが荒く、人と話している時の態度も悪い、という方も正直たくさんいます。

ただ、親が単に礼儀や作法を、、と思って子供に茶道を習わせて、それでもとてもスムーズに茶道に入れる子ももちろんたくさんいます。
結果、礼儀や作法も学ぶ子たちです。

彼ら彼女らはどのような子たちなのでしょうか。

それは、結構シンプルなのです。
単に、その茶道の世界に触れるのを「好き」「楽しい」「嬉しい」と感じるか、それが大きな差を生みます。

私の周りで茶道をずっと続けている方を見てみると、とても面白いことに最初の理由は結構同じだったりします。
「お稽古のたびにいろんな可愛い和菓子を見れて、しかも食べれる!」
「着物をしっかり着てピシッとお点前することに憧れる!」
「お道具や器などの柄だとか、とっても可愛くて、大好き!」

結構、単純でしょう。
でもこれがあるかないかで、取り組み方も全て変わります。

私の師匠曰く、楽しさという動機がある中で取り組む方は、単に礼儀や作法などの型を知るだけでなく、その裏にある思想『相手を想う気持ち』というものも自然とついてくるようです。

『相手を想う気持ち』というのを特に意識せずとも身につけると、それは何を意味するでしょうか。

茶道の世界だからじゃなくて、畳の上だからじゃなくて、日常生活に戻ってもその気持ちで取り組めるからこそ、本当の"礼儀"や"作法"になるのでは、と考えます。



子供側からしても、親に言われて無理やりやるのなんて嫌ですよね。
まだ流行りのものや周りの友達がやっていることならまだしも、みんながしてないし、なんだか正座も痛いし、周りにあるもの全部古いし、何もせずに単に座ってる時間も長いし、だったら他のことしたいよ!と思うのは当然でしょう。

でも、入口を「和菓子」だったり「着物」だったり、「小物」だったり。
そうするだけで、もしかしたらこの茶道の世界を好きになって、楽しく"礼儀"や"作法"を身につけているかもしれませんよ。
誰でも、言われたことじゃなくて、自分で思って行動したことのほうが、すぐに自分のものになりますよね。

茶道教室に通わせよう!
じゃなくて、ぜひ一緒に和菓子や着物など、見に行ったりしてみてください。
茶道は日本文化を粋を集めた世界、全ての事物に『相手を想う気持ち』がこもっている文化です。
楽しさから入るのであれば、"礼儀"や"作法"を学ぶために茶道が1番良い場の1つであることは、間違いありません。


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