"デザイン"と"テクノロジー"を追求し続けることで生み出されるのは、隷属的な世界かもしれない。




ここ数年、"デザイン"と"テクノロジー"という言葉を見る機会が増えたように思うが、みなさんはどうだろうか。

"デザイン"には、様々なものがある。WEBのデザインもあれば、実在する商品のデザインもあれば、デザイン思考のような考え方もある。

"テクノロジー"にも、様々なものがある。人工知能を指すこともあれば、電気製品の性能が上がることもテクノロジーの進歩と捉えられ、ドローンのような浮遊する物体もテクノロジーだと言われる。


実際言葉として使われる頻度は増えているのだろうか。正直分からなかったので、Googleでの検索量を示してくれる"Google Trend"にて2004年から今年までの検索動向を調べてみた。


すると、意外なグラフが弾き出された。

※青の折れ線:「デザイン」の検索ボリューム
※赤の折れ線:「テクノロジー」の検索ボリューム


なんと、別にここ数年で増えていることは全くなく、むしろどちらも減少傾向にあるくらいだ。

特に時代がどうこうではなく、その言葉自体は少なくともこの10年以上使われている相対量は同じくらいだということだろうか。

ある意味、この世の中で大事だと思われてきた具合が年を経ても同じくらいだということであり、ひたすら追求・研究されている分野でもあると解釈することができるかもしれない。


実際、この2つの単語に絡む本はとても多く出版されている。

※上記のグラフでも表示されているが、デザインとテクノロジーではデザインのほうが圧倒的に使用されている。Amazonで販売されている冊数には圧倒的な違いがある。"テクノロジー"という言葉が使われている本が26万冊強なのに対して、"デザイン"という言葉が使われているのは1,194万冊強だ。






では、このまま追求することで今後の世界はどのような世界になるのだろうか。

えてして、"テクノロジー"が進歩したら世の中は便利になるだとか、"デザイン"が進歩したら生活の仕方が一変するなどと言われている。



先に断っておこう。以下で書くことは真実ではない。

だがしかし、真実になり得るかもしれない、いま事実として存在する解釈である。



本日午後、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長の伊藤穰一さんの『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』 の出版記念トークイベントがあり、参加してきた。

イベント詳細・画像元:http://9principles.peatix.com/


伊藤穰一さんは、ベンチャーキャピタリストとして世界的に知られ、現在MITメディアラボ所長、PureTech Health取締役会長のほか、ニューヨーク・タイムズ、ソニー、マッカーサー基金、Knight Foundation、デジタルガレージなどさまざまな組織の取締役を務める方。

伊藤さんが、今日こんなことをおっしゃっていた。
(逐次の書き起こしではなく、言葉遣いなど細かいところは違いがあり、かつ省略しているということをご了承いただきたい)

"テクノロジーを他の言葉に言い換えましょう。エンジニアリング、それは普通に想像する言葉ですね。では、それ以外は何か。それは、サラリーマン、命令に従うなど、行い続けるものです。デザインも同じですね。手段です。 
はたまたその逆は何か。それはサイエンス、そしてアートです。それらは手段ではありません。世の中がどうなるのだろうか。社会はどうしたら良い世界になるのか。生きるとは何か。そんな問いなのです。正解のない、考え続けることなのです。"




ーMIT石井裕教授が提言。「ICT敗戦国」日本を生きるクリエイターに必要な2つのこと
記事・画像元:https://wired.jp/2014/07/30/mit-ishii-evernotedays/


もう1つ、この話に絡む事柄を挙げてみよう。

ここで伊藤さんと同じくMITメディアラボ副所長の石井裕さんの記事を紹介する。数年前の記事ではあるが、こんなことをおっしゃっている。(上部画像もこちらの記事から拝借)

"世界は加速している。テクノロジーは1年で廃れる。アプリケーション(=ニーズ)は置き換えられる。しかし本当の強いヴィジョンは100年を越えて生き続ける。そしてぼくらがいなくなった未来を照らしてくれる。
ー中略ー
テクノロジーはすごいイネイブラー(いろいろなことを可能にする要素)で、それによっていろいろなことが可能になる。一方でお客さまのニーズをしっかり理解して、それにピッタリ合う商品を出してお金をいただくというのも、とても健全な行為なわけです。 
でも、テクノロジーはあっという間にゴミになってしまう。いま持っているスマートフォンと同じ機種を2年後も愛用していると思う人はこの中にどれくらいいますか? ほとんどいませんよね? 新しいモノに買い替えますよね?
ー中略ー
いくらユーザーのニーズを知ったって、いま何に困っているかは言えても、未来にどうなっているかはお客さまのニーズの調査からは絶対に出てこない。われわれがどういう未来が欲しいかを考えないといけないんです。
そういう意味で100年を超えたヴィジョン、われわれのライフスパンを超えたものを考えていかなければならない。というのがぼくの研究の基本的なゴールです。"


そうなのだ。
"テクノロジー"や"デザイン"は、すぐに廃れる。その時代その時代で可変なものなのだ。


当ブログの最上部のグラフをもう一度思い出してほしい。

2004年からずっと検索量は横ばいであった。
これは、毎年ごとに"テクノロジー"も"デザイン"も廃れ、生まれ、廃れ、生まれ、それを繰り返してきたということではなかろうか。
ひたすらに毎年変わり続けるものを、毎年ひたすらに得つづけていくこの行為。


石井さんが語る上記引用箇所を改めて引用しよう。

テクノロジーはあっという間にゴミになってしまう。


もちろん、"テクノロジー"も"デザイン"といった手段を得る、要するにスキルを得るということかと思うが、その行為自体がとても大切なことだということは自明の理であろう。
スキルなしに働くことは難しいし、それ自体を高めていかないと人材としての市場価値も上がってはいかない。

ただ、この"テクノロジー"も"デザイン"といった手段、スキルを得るということのみを追求した先には何があるのだろう。



これからの時代を創っていくもの、新しいものを生み出してくれるもの、そんな風に捉えられる"デザイン"と"テクノロジー"。

果たして、"デザイン"と"テクノロジー"を追求し続けるのは、我々の未来を明るくするのだろうか。

その未来に待っているのは、隷属的な世界ではなかろうか。

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