一番古い記憶を辿れば、きっと今の自分が見えてくる。






久石譲さんの『Summer』を聴きながらこのブログを書き始めた。
もう、夏である。



誰が聞いても、名曲だ。
爽やかな風が吹き抜けるようなその音。なんて心地よいのだろうか。





はたまた、この『サマーウォーズ』のメインテーマもいい。
あの一家の大いなる戦いを鮮明に思い出し、いやあ、夏だねえ!と心の底からワクワクする。





だがしかし、言いがかり感満載だが、夏という季節のことを、私はどうも好きになれないなあと思う。

以前記したこちらの記事にあるように、私は肋骨を欠損した状態で生まれ、生きてきた。
それゆえ、その骨の欠損はじめ左上半身の骨格の変形を人に知られることが幼少期の自分としてはとても嫌すぎて嫌すぎて、それが一番色濃くはっきりわかってしまうのが夏なのだ。

ー人は自分の"足りないもの"を活かして、別の多くの"足りないもの"を埋めることができる。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/06/blog-post_2.html

まあ、単に「暑いの嫌い」というどうしようもないような理由があることもあるかとは思うのだが、多分そんな潜在的なものも関与しているのだろう。




とまあ夏を迎える度にそう感じていたのだが、先日話していた元カノさん(今は仲良し)に「僕は夏がとても嫌いである。その理由とはかくかくしかじかにて、、」と、夏という季節に対しての抑えきれない負の感情を吐露していたところ、元カノさんに言われたことはとても意外なものだった。

「え、そう?でも少なくとも、夏の夜に関連するものは昔から好きじゃない?お祭りとか、金魚すくいとか、花火とか。」

それを聞いて、「むぐう、、、確かにそうである。」と何も反論できずに唸ってしまった。



確かに、私は夏の夜に伴う諸々はかなり好きだ。
遡ること20年以上前、生まれてから物心つく頃に至るまで、私は秋田県は能代市で生活していた。
いつも、夏が楽しみだったのを覚えている。



能代市には、「天空の不夜城」と呼ばれるお祭りが昔からある。
これが、何より大好きだった。上記がその映像である。

私が小さな時に祖父がこのお祭りの取り仕切りを行って常に死に物狂いでかつ楽しみながらお祭りを創り上げようとしていたのを横で見ていたので、「おじいちゃんすごいなあ!かっこいいなあ!」とも思っていたし、
そんな途中のことを知っているからか、お祭り当日にこの笛の音が流れてくるのも本当にワクワクした。

私も一緒に笛を吹かせてもらったり、この不夜城にのっけてもらったり、もちろん花火だとか金魚すくいとか、それらは本当に私の幼少期の宝物のような記憶たち。



多分、私の記憶に残っている中では、一番古い"心の底からワクワクした記憶"だ。


ああ、やっぱり自分はそういうものが本当に好きなのだなあ、、、、今もそうなんだなあと思いつつ、
能代に帰りたい欲が強烈に襲ってきている。。。

(というわけで、来月のお盆は能代に帰ります。)


コメント