悪い定例ミーティングが生んでしまう8つの害
定例ミーティングというものは誰しもが参加したことがあるだろう。
結構多くの人が「出席したくない」という、週1とかでやるやつである。
得てして惰性で行い、それが定常化してしまい変えることがとても難しい、あれである。
様々な会社や有志の会のミーティングというのに出席させていただくことがちょいちょいあるのでその度にものすごく思うことなのだが、正直果てしなく生産性の低いミーティングが世の中には大層はびこっている。
そりゃもう驚く。
「いやいや、ここで話していることの中身なんて5分〜10分で終わるだろ」と、1〜2時間のミーティングに出て思ったりする。(今日は結構毒づく)
その時間でどんなことができるのか、その可能性は計り知れない
弊社はそこらへんの生産性を、毎度修正しながらがしがし上げていく努力を比較的怠らないので(というか生産性上げないと失うものが大きすぎる)、本当に唖然とすることが多い。
普段の仕事の中身の部分は専門性もないから分からないけど、ミーティングの生産性だけとったら、多分10倍以上の生産性出せるわ、、、みたいな
さて、まあそんな定例ミーティングというものが多いのだが、では一体どんな弊害があるのか。
「別に時間が多少もったいないだけ」
「他に何か影響ある?」
みたいに感じるのかもしれないが、かなり様々存在すると私は考える。
以下に、私がふと思う弊害を列挙していく。
1. 他のことに充てられる時間の縮小
→これはもちろん当然だ。ここは誰しもがそう思うだろう。
2. 残業時間の増加
→まあこれも同じく当然だ。
3. ミーティングを共にする人との関係性の悪化
→無駄/あまり意味がないと思っている時間を共有する人のことは、次第にあまりよく思わなくなる。楽しいことをしているときに一緒にいる人のことは良い印象を持つが、嫌だと思っていることを一緒にやっている人のことは悪い印象を持つだろう。
4. 中途半端に他のことを考えてしまって、その対象となるもの自体にかける時間が延び、なんだかとっても時間かけてしまっていて思考停止する頻度が上がる
→考える頻度を多く、時間もかけている気がするがなんだか終わらない、というのは、何も進んでいない感を自分の中に創り上げてしまう。それは意外と自分に影響を与える。「まだ終わらない、、」「なんでこんなにやってるのに、、、」と。
5. 自分が求める情報への感受性が乏しくなる
→皆がイライラ/ぼんやりというような状態を継続すると、自分が持つ感情の幅がとても限られる。そうすると、いかに良い意見や共感する話があったとしても、その内容へのアンテナが立たずにスルーしてしまう。
6. 脳の活動の停止
→「意味を感じにくい/感じられない」ことを惰性で行い続けると、それが脳に定着化し、他の時間も惰性的な脳活動にシフトする。脳はそこまですぐに慣れているものから慣れていないものに移行することができない。
7. ミーティングで合意する内容の質の低下
→合意というのは、参加者の持つ情報をまとめ上げることで質が向上していく。集中する人がいればしない人もいると、情報の量/種類が当然限られる。そうすると、合意のレベルの上限値は下がる。
8. ポジションの差をさらに助長する
→ある程度の大きさの組織では上下関係というのもがどうしても発生するが、それが悪い働き方をする。ミーティングが設計されていない場合、言いたい人が言う場になり、それは得てして上の人になりがち(そんな設計をしない組織であればあるほど、上の人がひたすら話す)。タチが悪いのは、そんな上の人は「自分は伝えたいことを言っている」「みんなは考えてない」と思うことが結構あったりすると言うことだ。
ここまで弊害を書き記してきたが、もちろん、まだ自分は年次が低いから、そんなミーティングがあっても中身の変更なんてできないし、、、という方もいるだろう。
それは本当に辛いことだと思う。コントロールするにはある程度上にいかないと難しい、、、という会社も多いだろう。
仮にやるとしても、何からどうやればいいか分からない、、、というのは間違いない、そりゃそうだ。
ということで、では一例として弊社ではどのようにミーティングを設計しているのか、また次回(いつか分からない。気が向いた日に)ブログにしたためたいと思う。
では、本日も大切な時間を徹底して有効活用して生きよう。
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