「うさぎ」と「かめ」と「26歳」と。




昨日、私は26歳となった。
各所から、「え、まだ26?」「36の間違いじゃないの!?」などなどの声をいただいているが、間違いない。
1991年7月27日生まれである。

高校生の時は大学生に間違われ、大学生の時は社会人2〜3年目に間違われ、いつどの時代も「きっともうすぐ年齢が見た目に追いつくから」と言われ、気がつけば26歳となった。
もはや、その年齢差は開くようになってきた。


私の年齢はいつになったら見た目に追いつくのか。


年齢を経るのは、誰しも一定の時を要する。

だが、見た目を経るのは、誰しもが一定の時を要するわけではない。

そう考えると、私の見た目があまりに「うさぎ」すぎて速いのだろうか。
そう考えてみると、私の年齢が「かめ」なのだろうか。

でもあの「うさぎ」と「かめ」の物語では、最後にはうさぎが居眠りをしてしまって、かめが追い越すというエンディングが待っている。

では、私の「うさぎ」はまだ居眠りもせずにひたすら走り続けているとでもいうのだろうか。
私の「かめ」はひたすらにノロノロと歩いているとでもいうのだろうか。


私の「うさぎ」はちょっと頑張りすぎているのだと思う。
もう少し休んだり、寝てもいい。こけてちょっと擦り傷を負ってストップしてもいい。少しくらい「かめ」に容赦しろ。

むしろ、私の「かめ」があまりに遅いのが悪いのかもしれない。こんな時代なのだし、別に自らの足で歩こうとせず、自転車にでも乗ればいいだろう。「かめ」の手足では自転車に乗れないとかいう議論はあるかもしれないが、それでは車でもいい。「かめ」専用の車。それくらい、こんな時代なのだからあってもいいだろう。




、、、




そんなことを昨晩考えていたら、私の大好きな『世に棲む日々』を思い出した。

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

吉田松蔭先生の一生を描く、司馬遼太郎の名作であるが、『竜馬が行く』などと比べて読者数は格段に少ない。
だが、私が一番大好きな本だ。

そしてなぜ思い出したかというと、26歳とは、吉田松蔭先生がすでに松下村塾の主宰となっている歳なのだある。


あまりにも「うさぎ」だ。

吉田松蔭先生は、「うさぎ」すぎる。

少しくらい「かめ」な部分もあったのだろうか。




そうして考えて悶々としていると、世の中でもトップクラスの「うさぎ」な方々が気になった。
26歳にして「最強のうさぎ」たる地位を誇った方々を少し調べて、列挙してみる。



■アルバート・アインシュタイン
「特殊相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」等、5つの論文を提出する

■ナポレオン・ボナパルト
フランス軍の将軍に昇進。兵学校を卒業して砲兵士官として任官してから10年での偉業。

■ココ・シャネル
パリのカンボン通り21番地に帽子専門店『シャネル・モード』を開店。

■アイザック・ニュートン
ケンブリッジ大学の数学教授に就任。

■織田信長
尾張の国主となった翌年。今川義元に尾張を侵攻されたことにより起こった「桶狭間の戦い」に勝利。

■坂本龍馬
村惣之丞らの助けで土佐藩を脱藩。

■マーク・ザッカーバーグ
自身がモデルとなった映画『ソーシャル・ネットワーク』が公開される。

■スティーブ・ジョブズ
「AppleⅡ」が販売され、アップル社の株式公開がなされた翌年。マッキントッシュのプロジェクトに参加開始。



、、、



なんとも最強すぎて、「うさぎ」だ「かめ」だなんて書いているのが辛くなってきた。
ここ80日ほどのブログの中で、一番砕けたブログ内容となっている。
それもそれで我が誕生日について書いているにも関わらず、辛いところである。



という訳で、まあこんなブログも時にはいいだろう。

社会人になってからというもの、あまりにも「かめ」な生活をし続けてしまったような気がする。

そんな「かめ」たる自分も大切だということは信じているのだが、そろそろ次のフェーズに行ってもいい頃だろう。



先日記したこちらのブログの中に、これから心に刻んて生きていきたい考えを書き込んでいる。


とある有名古本屋の元NO.2がこう言った、「NO.2は最高のスクラムハーフであれ」と。
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/07/no2no2.html


26歳の前に、これを知ることができて本当によかった。
この26歳は、こうある為に必要な経験や知識を詰め込み、実践する日々を送りたいと思うのだ。

「かめ」から「うさぎ」へ。



まずは甲羅とって、体毛生やさないとな。。。


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