"私たち"という主語の使用量が、集団の心理的安全性を測る1つの物差しになる。




昨日、ブログ企画で第2期より共に企画を進めている志賀がこんな"一人称"についての記事を書いていた。

『やっぱ変化を創るうえで一人称って大事だよね』
https://arietta936.wordpress.com/2017/07/15/

この記事を受けた上で、私自身が感じる"一人称"について書いてみようと思う。




あなたは言葉を語る時、物事を考える時、どのような一人称を使うだろうか。


「私」という人、「僕」という人、「俺」という人、中には自身の名前で自分のことを呼ぶ人もいるだろう。
英語だと、「 I 」となる。

上記は一人称といっても、一人称単数である。


一人称にはもう1つ、一人称複数がある。

「私たち」という人、「我々」という人、「僕たち」という人、「俺たち」という人、中には自分の名前を冒頭にもってきて「○○たち」という人もいるだろう。
英語だと、「 We 」となる。


複数人が集まった集団の中に場所を移してみよう。


組織では得てして、一人称単数、もとい「私」というものはとても大切だと言われる。

「あなたはどう思う?」と問いかけられれば「私はこう思います。」とすぐにかつ的をえて答えられた方が良いと言われるし、
「あなたはどう行動するつもりなの?」と問いかけられれば「私はこう行動するつもりです。」と明確に言えるほうが良いと言われる。

また、「自己を確立しよう」「自分で考えられる人間になろう」「自己を変革しよう」

そんな言葉は巷にも、どの社内にも溢れている。




その時、一人称複数はどこにいっているのだろうか?

「私たち」「我々」「僕たち」
そんな言葉を聞くことは、みなさんあるだろうか?

そして、そんな言葉を発言することは、みなさんどれくらいあるだろうか?




こんな話がある。

とある4名ほどのスタートアップにて、いつも議論の途中から以下のような状態にになっていた。

A:「僕はこう思うんだよね。」
B:「いやいや、それこの前やらないって話したじゃないですか。私はそう認識してましたよ。」
C:「そうそう、僕もそう聞いてた」
D:「え、おれは解釈全然違うんだけど」
A:「は?あの時僕こう言ったじゃない。なんなの、ちゃんと聞いて覚えてよ。」




いつも、「自分の意見・考えはこうである。」というところで終始してしまい、その合意形成を行う際、互いをぶつけ合い、互いをすり減らしながら合意を形成していた。
その時に存在したのは、ギスギスした関係性と、やられる前にやり込めろみたいな変な緊張感だ。

そんな日々を過ごしている中で、その日はやってくる。


とある関係者がその議論に参加した時のこと。
こんなことを言った。

「ここにいるみなさんって、全員自分の意見とか考えをどうにか押し込もうとしてるんですよね。正直に言うと、ほんとありえない。バラバラのものを組み合わせずに戦わせてたら、そりゃうまくいくわけないですよね。むしろ、こんな生産性低くて馬鹿げた話をする暇あるなら、もっと真剣にお客様のためになることしてください。
今日から、"私"とか"僕"とか禁止にしましょう。自分じゃなくて、"我々"がどんな世界を創るか考えましょう。そのために、"我々"が何をすべきかを議論しましょう。"私"でも"僕"でもない、"我々"がどうするかという前提に立ちましょうよ。」


"私"や"僕"という一人称単数の主語を廃止し、"私たち"や"我々"という一人称複数を主語にし続けた結果、何が起きるのか。
気がつけば、こんな会話に変わる。

A:「いやさ、僕たちが目指すのってこういう世界じゃん。だったらこうした方がいいと思うんだよね。」
B:「なるほど、でも我々が本質的にやりたいことって、そこじゃなくてこれな気もするんですよね。それについてはどう思います。」
C:「まさにそう思うよ。」
D:「基本的には同意だけど、まだ○の部分についてはもっと考えないといけないかな。我々が進めることというのはそれじゃないと思うんですよね。」




もはやギスギスした関係性になることはないのだ。
自分の意見を貫く必要もなければ、戦わせる必要もない。相手より先にやり込めるなんてこともない。
"我々"という主語が、"私たち"という主語が、無意識のうちに全員をまとめ上げ、チームを創っていってくれるのだ。
全員に共通し、かつ全員当事者のことしか話さないのだから、なんでも話せる安心安全が担保された場となる。



単に、主語の話だ。
主語に何を使うかという話だ。

ただ、それだけで話の仕方や心の状態、発言内容がグッと変わる。

きっと、全てが変容していくことだろう。





ちなみに、上記のスタートアップは弊社の昔の姿である。
そして、きっかけとなった発言をした「とある関係者」は、今の僕の上司、つまりうちの会社の社長だ。
過去にそんなこともあった。



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