今までなかった思考回路を動かすためには、ありえない自分を体験することが必要だ。




リフレクションシアターをご存知だろうか。

明確に定義されている言葉か正直わからないのだが、シアター(上映されるもの?)を通して、リフレクション(振り返り)を行うというものだ。



昨日私は、実践女子大のとあるゼミが行うワークショップというか実験のお手伝い(もとい実験台)に行っていた。

※女子大に入るというのは、何も後ろめたいことがないとしても(もちろん未だかつても一切ない。断固として)なんだかソワソワするものだ。


ここで行われていたのが、このリフレクションシアター。

このゼミは経験学習について研究するゼミなのだが、その一貫として、リフレクションシアターを行なっている。



さて、具体的に何をやったかというと、シンプルと言えばシンプルだ。

即興劇を通して、自分に与えられた役割を全うし、劇を共に行うメンバーたちと終わった後に振り返りを行う。

行なった劇はいくつかあったのだが、1つはこれ。
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■前提
娘が彼氏を連れてきて、結婚したいと両親に伝える。彼氏は来月から海外に転勤。

■役割
娘:彼氏と結婚したい&転勤について行きたいと両親に告げる
彼氏:ご両親とは初対面。結婚及び娘さんを海外に連れていくことをご両親に許諾してもらいたい
娘の父;断固として娘の結婚に反対
娘の母:断固として娘の結婚に反対
ポチ:この家族の愛犬
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この設定にてそれぞれの役割を担うのだが、楽しいながらもとても難しい。
思ったことをツラツラかくと、こんな感じ。

・自身の性格をかなり明確に定義しないと劇を正確に遂行することが困難
・彼氏役は結構追い込まれる(実体験済み)
・1人1人の性格や背景情報を知らないので、かなり考えて想像しながら進めないと、急にドツボにハマる
・もちろん即興劇なので台本はない。その場で自ら設定をしたり、考えを修正しないといけず、役を全うしながら内省を同時に行わないと話を進められない(結婚の承諾を得られない)
・自らの人生経験が劇の中にかなり反映される(例:昔同じ状況で彼女の両親に会いにいったことのある方、とか)
・恥ずかしがったらそこで試合終了



これを書きながら、でもこれって即興劇だからこうなるの、、、?
と考えてみたところ、そうではないなという考えに行き着いた。
普段生活している中で即興がないかというと、よくよく考えると結構即興も多いはずだ。
というか即興の占める割合は大きい。

人は全てを予測し設計しながら生きているわけではない。
もちろんある程度は考えたり決めたりしながら動いているかもしれないし、仕事をしながら誰かから問いかけられる言葉、すべて計算済みだったらそれはそれですごいが、全てとなるとちょっとあり得ない。


じゃあ、即興劇がもたらしてくれる効果って?と考えると、おそらくこれだろう。

『自分が今すぐに至らないであろう(不可能な)シチュエーションを構築してくれる。』



毎日の自分は過去の自分の延長線上に存在する。
明日の自分は今日の自分がいるから存在するわけだし、明後日の自分は明日の自分がいるから存在する。

とすると、今の私の延長線上で考えると、明日の私が「36歳のバツイチ男性(元妻のところに2歳の息子あり)」という状態を構築することは不可能だ。


だがしかし、即興劇ならこれができる。
明日、私が「36歳のバツイチ男性(元妻のところに2歳の息子あり)」になることも可能だ。



自分が想像もしないシチュエーションでどのように考えどのように行動するか、それはきっと想像ができない。
だが、そのような新たなシチュエーションを過ごすことで自分の新たな一面に気がついたり、自分の思考や行動を振り返るきっかけになる。


少なくとも、私は昨日彼氏役をやることで、自らの将来を憂いた。
やばい、もっとしっかり準備して真面目に用意周到に過ごさないと
「○○さんを僕にください!」だなんて言える日すらこない、、、と。

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