一人称は、自身を映す鏡である。そして、その鏡は自身を変化させる武器にもなり得る。





みなさんは、自分自身を呼ぶ時にどのように呼ぶだろうか。

「わたし」という人もいれば、「おれ」と呼ぶ人もいる。

「ぼく」という人もいれば、自身の名前で呼ぶ人もいる。

他にもあるかもしれない。


私は、今までの人生の中で、「ぼく」「おれ」「わたし」を使い分けて生きてきた。
時期によって、そして場所によって一人称が変化してきた。まずはざっくりと分類してみよう。

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ーーー学生時代まで

■家族と一緒の時
私は今まで、家の中では「ぼく」としか自分のことを呼んだことがない。
なぜだか分からないが、「おれ」と言うことが親に求められていない気がして、「ぼく」が求められていると思い込んでいた。
実際に今振り返っても、「ぼく」と自分のことを呼ぶ穏やかそうな性格の人間を求められているように感じ、その通りにしてきた。
かつ、幼少期から好きな映画(ライオンキングなど)や本(星の王子様など)の主人公の一人称は「ぼく」で、それが自分の中でしっくりきていた。彼らに憧れていたのだろう。

■家族以外と一緒の時
私は中学2年生くらいまでは外では「ぼく」。中学2年生くらいから大学卒業までは「おれ」。
家の外ではそう呼んでいた。
成長していくにつれて「ぼく」と自分を呼ぶ人はいなくなっていたし、見るアニメ・マンガ(ワンピースとかナルトとか)の主人公は全て一人称が「おれ」だった。
周りからの要請とでも言うのだろうか。「おれ」と呼ぶことを周りの世界から求められていたし、「ぼく」と呼ぶこと自体が間違っているのかと感じ、私は次第に「おれ」になった。
だがしかし、いつまで経っても自分にしっくりきていない、、、と思いつつの日々だった。


ーーー社会人開始以降

■家族と一緒の時
あいも変わらず「ぼく」。
幼少期からずっと変わらず、自分なりにしっくりきていた。

■家族以外と一緒の時
プライベートだと、社会人1年目が終わる頃までは学生時代のまま「おれ」。
だがここから変化が起きる。次第に「ぼく」に変わっていった。
憶測に過ぎないが、考えうる理由を以下に。
・周りで自分のことを「おれ」と発する人が減った(「おれ」と発する人との付き合いが減少した?)
・周りは基本的に「わたし」か「ぼく」になった
・別に周りから見た「在るべき姿」だなんて気にしなくても良いと考え始めた(?)

働いている中では基本的に全て「わたし」。だがこちらも、相手との関係性によっては「ぼく」を使っていることもあるように思う。

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、、、と簡単に分類してみたが、ここで分かるのは、

私は私のことを呼ぶ際、外の世界からの「在るべき姿」を通して発言していたということと、内の世界の「憧れ」を通して発言していたということ。
そして、その両者の間でせめぎあっていたということ。



別にどの一人称を使おうが人の勝手ではあるが、その一人称はそれぞれの時代の自分を映す鏡であるなあと思うのだ。

「ぼく」は少しおっとり落ち着いた様子を醸し出したいのか。

「わたし」はかっちりとした様子を伝えたいのか。

「おれ」は強気な姿勢を表現したいのか。


どれを選択するかは、いろんなものに左右されて変化する。

だがしかし、外の世界からの「在るべき姿」を優先し、内の世界の「憧れ」を潰すようなことは、その人のためにはならないことは確かだ。

誰しもが内の世界の「憧れ」を見出して、自らの一人称を駆使できればいいなと、心の底から思う。

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