言葉を失ったとしても、言葉を発する努力をすることでしか、失った言葉を取り戻すことはできない。




逃げても逃げても何も変わらない。
どこかで、立ち向かう勇気を持たないと。


昨日、こんな言葉を聞いた。



この映画を、みなさんご存知だろうか。

『湯を沸かすほどの熱い愛』

宮沢りえさん主演の映画。

複雑な家庭環境、そして登場人物それぞれが持つ痛み。
それでもなおその痛みを受け止め、最期までそれぞれに愛を持って接していく物語。

単純にほんわかしたヒューマンドラマと思って観たら驚くだろう。
映画内のそれぞれの行動、言葉、全てが突き刺さってくる。
とても刺激的でかつ心にぐすりとくる作品だ。

湯を沸かすほどの熱い愛 通常版 [DVD]


私は昨日、これを自宅にて深夜1人観ており、冒頭の言葉を聞いた。

逃げても逃げても何も変わらない。
どこかで、立ち向かう勇気を持たないと。


これを聞いた時、私は自分が認めていなかった部分に気がついた。
そして、それを認めざるを得ないことにも気がついた。

今日はそれについて書こうと思う。




私は高校3年生から社会人2年目くらいまで、吃音症のような症状がずっと続いていた。


吃音症とは何か。
とあるページの説明を引用しよう。


吃音症とは、しゃべる時にある特定の言葉が連続して発せられてしまったり、瞬間的に無音状態に陥り、言葉を円滑に話すことが出来ない病気です。
ー吃音症とは?原因とチェック法と治し方は? http://xn--k9j703lrer.com/archives/3057.html


あの頃は認めるのも嫌だし、固定化された病名を得ることも嫌だったので病院で診断を受けたこともなかったが、吃音症の症状と言われるもの全てに合致していたので、ほぼ間違いないだろう。


この症状でよく困っていたのは、もちろん周りの人と会話をする時。
だが、普段生活する中では周りの人間と会話をしないようにしてできるだけ1人でいることで回避していたのだが、知らない人と会話をする時は毎回とても心にぐすりときていた。

例えば、お店で店員さんと会話をする時。

なんのことはない。
「これください」という言葉。


他には、誰かに電話する時。

なんのことはない。
「お世話になっております。」という言葉。


正直に書こう。私はこんな言葉たちですら満足に口から発することができなかった。

毎回この言葉が口から出てこなくて、買いたいと思っても結局物が買えなかったり、人に電話しても何も発さずに電話を切ったり。

今となっては笑い話にできるが、そんな時期が、確かにあった。




もちろん、その期間の中でも度合いは全然違う。
期間と度合い(5段階評価で、5を一番重い、1を一番軽いと設定)はこんな感じだ。

第一期:高校3年生〜大学2年生→症状5
第二期:大学3年生〜社会人1年目の4月→症状1.5
第三期:社会人1年目の5月〜社会人2年目の秋くらい→症状3.5


それぞれを説明すると、こんな感じ。

■第一期
始まりは高校3年生、ひたすらに毎日が大嫌いで、目に見えるものも聞こえるものも感じ取れるもの全て消えれば良いと思っていた時期。
仲の良かった友人関係(学校外の)がほぼ欠落したことで陥った状態。
大学に入っても引きずり、その症状は2年生の終わりまで続く。

■第二期
それでもそんな状態が嫌で嫌で、とにかくがむしゃらに自分の周りの環境と自分の精神状態を良くする為のことをできる限りたくさん行った大学前半が功を奏し、大学3年生からはかなり良くなった。
本当に本当に多くの方に助けられ、高校3年生の頃には想像できなかったような自分を創ることができていた。この時に周りにいてくださった友人たちに対して、私はもう感謝の気持ちしかない。この時期があるから、今の私とこれからの私がいる。友人に伴う問題を、友人をつくり協力してもらうことで解決していった。

■第三期
ただ、社会人になりあまりに出来ないことだらけで症状がぶり返す。周りの人にはできるだけわからないように、わからないようにしながら、それでも生活にも仕事にも支障をきたしていく。
ただ、これもなんとか変えなければと思い、途中で挫折を何度もしながら向き合い、自分なりにがむしゃらに働き、克服した(気がしている)。



これらを思い返し、改めて思うのだ。

間違えたり、失ったり、見えなくなったり、考えられなくなったり、できなくなったり、そんなことは生きていればいくらでもある。

でも、何かを失ったら、同じモノを得るための努力をして、努力をして、努力をして、なんとかしてでも同じモノを得ようとすることでしか、その欠落したという事実は解決しないのだ。


冒頭で紹介した『湯を沸かすほどの熱い愛』の中で、主人公は学校でいじめられていて学校に行きたくない娘に対してこの言葉を伝えた。

逃げても逃げても何も変わらない。
どこかで、立ち向かう勇気を持たないと。

娘は傷つきながらも、罵られながらも、学校に行き続けることで抵抗し、全てを解決した。



問題に直面した時、これを自らに問おう。

今ある問題から逃げてはいないか。
勇気を持って立ち向かおうとしているか。
問題をすり替えてはいないか。
異なることに取り組み解決しようとしていないか、解決した気になっていないか。


問題を解決するというのは、とても苦しいものだ。辛いものだ。嫌なものだ。
逃げたくなる。どうしても、目をそらしたくなる。

でも、解決したら前よりも少し、前に進んだ自分になっている。



少なくとも私は、前より少し言葉を発することができるようになったのだ。




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