流されない自分でいるためには、「自分の内」に起点を持つことが肝心だ。




先日、とあるNPOにて学生のキャリア支援をする代表の方とお話をした時のこと、
彼が興味深いことを言っていた。

「人のサポートをすることが好き、それで相手が喜んでくれることが自分のモチベーションだ、という学生が多くいます。それ自体はとても良いことだと思うのですが、彼ら彼女らが社会人になると、なんだか仕事への意義だとかモチベーションを感じれずに辞めちゃったり、休職しちゃったり、そんなことが多いんです。」


なぜだろうか。
よくよく話を進めていくと、中身が見えてきた。

相手のサポートをして、その相手の変化や喜びがそのまま自身の喜びになる。
それに慣れていくと、気がつけば自身の全ての動機が自分のコントロール外になるのだ。
相手との関係性の中に、自分の存在理由を見つけている状態。



たしかに、人との関係性はとても大切である。

最近巷で流行っている「心理的安全性」という言葉がある。
これは、お互いに存在を認め合い、安心して自分を曝け出すことができる、ざっくばらんになんでも話せる状態のことを指す。

以下の記事が有名だ。


つまり「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を、チームのメンバーから払拭する。心理学の専門用語では「心理的安全性(psychological safety)」と呼ばれる安らかな雰囲気をチーム内に育めるかどうかが、成功の鍵なのだという。
ーグーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ(2016) 
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48137?page=3



また、弊社での調査でもわかったことがある。

誰かと1対1の関係性がある時に、その関係性を有意義だと思うか否かに直結するのは「人を理解し、人に理解してもらっているか」
この部分がかなり大きい。

他にも、「良いアドバイスがもらえた」「話を長く聞いてもらった」など関わりそうな要素を抽出して分析をしたのだが、この「人を理解し、人に理解してもらっているか」というシンプルな状態を満たしているか否かが、その相手との関係性においてはとても大切だということである。


だが、少なくともどんな人との関係性も万全の状態で過ごすことができる人なんていない。
そして、自分以外の誰か、というのは自身のコントロールできる範囲ではない。むしろ、コントロールしてはいけない。

相手との関係性、ひいては相手が喜んでくれるか、自分を必要としてくれているか、そんなところに最大のモチベーションを感じていると、そのコントロール不能な状態に自分の全てが左右されてしまう。




さて、話を戻そう。
上記のNPO代表の方が言う学生が社会人になった時に何が起きるか。

社会に出てまもない数年は、基本的にできないことしかない。
何も分からないので、どうしても失敗を繰り返しながら学びを深めていくことになる。

だがその時、周りから心理的安全性を担保してもらえずに働いていくと、自分の周りからはこんなことを言われるだろう。
「いや、それやってって言ったじゃん」
「なんでできないの?」
「分からないなんてありえない」
「もっと考えてよ」

これは一例だが、周りの人との関係性によってモチベーションを感じていた人間からすると、この対応は必然的にモチベーションを下げる。言われるだけでもツライが、そこにモチベーションを持ちたいのであるならば、余計ツライ。

人との関係性で喜びなんて感じれないし、感謝もされない。人が喜んでくれることが自分のやりがいだったにも関わらず、それを創り出すことができずに、どんどん自分を追い込む。

おそらく、このように至る人は多いのだろう。



もちろん、人との関係性は大事だ。
相手が喜んでくれたら嬉しいし、相手の為になることはとても素晴らしいことだ。

だが、自分の状態を左右するのが誰か自分以外の人間だと、どうしても自分で自分の感情やモチベーションをコントロールすることができない。



であるならば、どうしたら良いか。
自分の外ではなく、自分の中に動機を持つ、それに尽きる。

これを持つことは難しいことではあるし、ずっと同じ動機を自分の中に持ち続ける訳ではなく、それは常に変化するので更新作業が必要だ。

だが、自身の中に動機、もとい起点を持つことができたら、周りの変化に自分の状態を流されることがなくなる。





ちょうど最近、こんな記事も上がってきた。


MUFG:過去最大の1万人削減検討、10年程度で-関係者 (2)
https://newspicks.com/news/2310181/body/



人間関係だけではない。これからどんどん変化の多い時代になってくる。

そんな時に流されない自分でいるためには、「自分の内」に起点を持つことが肝心ではなかろうか。

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