自分の日常に彩をもたらすためには、自分の"自然"を受け入れることが必要だ。
右左脳、左左脳、左右脳、右右脳。
こんな言葉をご存知だろうか。
こちら、科学的にも実証されているもので、腕の組み方と指の組み方で人の特徴を分類しているものだ。
具体的には、以下をご参照いただき、ぜひ皆さんもどれに属するのか確認してみてほしい。
ー【右脳派?左脳派?】指の組み方と腕の組み方でわかる性格診断が面白い/COROBUZZ
http://corobuzz.com/archives/21778
この中で私は、「右左脳」タイプだ。
上記だと、完璧主義、個性派、自己中心的などが該当するらしい。
これ、実は自分の思考とアウトプットの特徴も表している。
以下のような違いである。
右左脳:左脳で考えて、右脳なアウトプットをする
左左脳:左脳で考えて、左脳なアウトプットをする
左右脳:右脳で考えて、左脳なアウトプットをする
右右脳:右脳で考えて、右脳なアウトプットをする
また私で考えてみると、私は「左脳で考えて、右脳なアウトプットをする」ことになる。
これ、私が直面している問題をそのまま浮き彫りにしている。
というのも、私が働く業界として、あとは弊社の働き方として、比較的左脳でロジカルに処理する必要に迫られることが多い。
いつも自分で考えている時、その時は多少なりともロジカルに考えられているように思うのだが、それを言葉として口から出すと右脳的というか、とても感覚的な言葉になってしまうのである。
実は、それが今までとても嫌だった。
少なくとも仕事をする上では、感覚的に物事に対しての意見を述べても信憑性がないし、人と話す上でも感覚的だと伝わらないことも多い。1つのものに対しての認識を同じくすることもできない。
このブログを書く上でもそうだ。左脳的に書かないと何を言っているのか分からなくなってしまうのに、どうしても右脳的に寄っていく傾向にある。
そんな自分をなんとか左脳的に!左脳的に!と無理やり変えようとして意識してきた気がしているが、どうしても左脳的になりきれず、そしてふとした瞬間に完全に右脳な感覚で話してしまうことが、今までとても多かった。
だがしかし、昨日のブログ
イヤホンを身につけないだけで劇的に増した、5つの「人生の有意義さ」
http://yuki-kitamu.blogspot.jp/2017/06/blog-post_11.html
を書いた後に気がついた。
右脳で言葉を出してしまう自分を受け入れないのは、自分を無理に箱に詰めているようなものだ。
と。
昨日のブログでは、自分の好きな「音」と出会いたいと書いた。
そうした自分にとって"自然"なことを行う、それこそが自分の日常をとても豊かなものにしてくれる。
仮にそうであるならば、「自分の"自然"をいかにたくさん見つけられるか」
それが自分の日常の彩を増していく、大きな道しるべになるのではないだろうか。
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