「常識がない」と嘲笑するのではなく、「立場を変えれば自分も同じである」と笑顔で出迎えたい
街頭で若者が料理を作る企画がある。
私が物心つく頃からやっているんじゃないかと思うくらい長く放送されている、中高年の井戸端会議のような番組の中の1つの企画である。
流れとしてはこうだ。
毎回異なるお題が掲げられる。
イカそうめん、カツ丼、サバの味噌煮、ロールキャベツ、などなど。
街頭で声をかけた若者にそのお題を出して、食材を提供した上で作ってもらう。
で、直接放送する全員、そのお題を完成させることができない。
それを見るスタジオでは、全員でその間違いを指摘し、「常識がない」ことを嘲笑する。
見るだけでも正直嫌気のさす企画であるが、見方を変えてみよう。
よくよく考えると、若者が中高年を「常識がない」と嘲笑するTV番組が存在するわけがない。
作っている側の中心は若者ではないからだ。
(もちろん、基本的には全て善意から作られているのだとは思う)
では、媒体を変えよう。
Twitterや2チャンネルなどではどんな言葉があるか。
こちらの作り手の中心は基本的に若者であり、その中には中高年やシニアを嘲笑する言葉も混じっている。
「知らないおっさんに怒られたんだけど」
「満員電車に詰め込まれる社会人たちってなんなの」
「両親がスマホに疎いのわけわからない」
中高年やシニアが若者を「常識がない」と嘲笑するこのようなメディアが存在するわけがない。
作っている側の中心は中高年やシニアではないからだ。
結局、互いに「常識がない」と嘲笑し合っている。
欠けている部分を指摘し見下すのは確かに簡単なことだ。
そしてこれは、別に世代の違いだけで起きることではない。
どのような集団同士でも起きることである。
学校でも、会社でも、同様にして起きる。
だが、互いが互いに「常識がない」ことを前提にした関係性、というものがあっても良いのではないだろうか。
結局、「常識」なんてその地域、その世代、その人という区切られた人々が持っているだけなのであって。
そう考えていくと、どんな他者とでも笑顔で協働しやすくなると思うのだ。
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