「人脈」の構築ではなく、「対話」の構築である、と考えると自分も大勢と話せるかもしれないと思ったという話。
「人脈」という言葉がある。
辞書を開いてみると、そこでは以下のように定義されている。
ある集団・組織の中などで、主義・主張や利害などによる、人と人とのつながり。—大辞泉
姻戚関係・出身地・学閥などを仲立ちとした、人々の社会的なつながり。—大辞林
なるほど、少なくとも「つながり」らしい。
ここ数年のSNSの普及により、この「つながり」というキーワードはかなり大きなトレンドとなってきているし、確かにそのトレンドの波の中に「人脈」もあるのかもしれない。
ここまできて、「ああ、人脈の作り方とか書くのだろうか」と思われるかもしれないが、違う。
単純に、私はこの「人脈」という言葉が、嫌いという話だ。
人のことを物として扱ってるよね。
リソースとしてしか見てないような気がするよね。
そんな理由で「人脈」という言葉を敬遠する人は多くいるかと思うが、私が「人脈」という言葉に対して思うのは、全く違う。
そもそも、その「人脈」と呼ばれるものにまつわること全てが基本的に嫌いなのだ。交流会とかイベントとかセミナーとか、大勢の人と場を同じくすることが嫌いだ。飲み会も、5人以上のものは行かないと決めている(ちなみに、4人以下で対話できる環境が用意されている場合は例外だ)。
特に嫌いなのは、フリーに大勢と会話していいよとかいう状態。で、終わったらみんなで写真撮影、、、みたいなことはよくある話だ。語弊はあるが、消えればいいと思う。
さて、少し話を反らすが、StrengthsFinder(ストレングス・ファインダー)という、人の資質を調査するツールをご存知だろうか。世界的なコンサルティング会社Gallup社が提供するツールであるが、これは人の資質を34の項目で表示し、その強弱を診断してくれる。以下に日本語のサイトを掲載するので、興味のある方はぜひ。自己理解を進めたい方にはオススメだ。
その34の項目の中で、私の一番弱い資質、要するに私が自身の中で一番苦手とすること・性に合わないことであるが、それは何かというと、、、
「社交性」である。
「社交性」のかけらも(ほぼ)ない鬱々とした25歳男性、それが私、北村勇気である。
本当は、憧れたりもするのだ。
大勢の人がたゆたう会場にて、颯爽と笑顔で挨拶をこなし、時にはウィットに富んだジョークを飛ばし、時には真面目に知人を紹介する。左手には有名な産地や品種など話題に事欠かない美酒をひっかけ、右手は様々なる御方との親睦を深める熱い握手に勤しむ。足は軽やかに会場を駆け抜け、その姿はまるで会場全体を舞台と見立てて踊っているかのようである。
その全てを苦手とするのが私だ。
誰と話せば良いか分からず、まずはテーブルに向かい一口サイズのチーズを頬張り、もっとがっつり食べれる量があればいいのに、、、と思いつつ、なんとか話しかけた方と話を進めていくも、どこで会話を切れば良いか分からず、長いと思われてるかな、、、でももっと聞いたほうが、、、と思い惑う。一旦会話が終わっても次の方と話すきっかけがつかめず美酒を一気に飲み干しカウンターにお酒をもらいに行く。それも辛くなってくると行きたくもないお手洗いに向かい、鏡に向かって「よし、大丈夫」とつぶやきひとときの安らぎを得て、また会場という名の戦場に向かう。。。基本的にはその繰り返しだ。
そんな私は今まで、もちろんのこと「人脈」という言葉とは縁遠く暮らしてきた。というか、避けてきた。
、、、と、なぜここで「人脈」という言葉について言及しているかというと、昨晩「科学する人脈づくり」というテーマのイベントに参加し、その時の話を記していきたいからである。
こちらのイベント、今までも毎月様々なテーマにて行われており、大勢と軽やかに連続して話す必要性もなく、席を隣にした3名の方々と徹底して対話を重ねていくというスタイルが私の苦手分野から外れているのでよく参加させてもらっている。
「人脈」という言葉を見た瞬間に7歩くらい後ずさりしたのだが、よく参加させてもらっているがゆえ自身の中では安全地帯であり、それならばそのテーマで対話を重ね、他の方の考えを聞こう、と参加した。
昨晩のイベントの流れとしては、「人脈」にまつわる様々なお話、「Strong Tie /
Weak Tie」「信頼の解き放ち理論」「やくざ的コミット面とから踏み出す技術」などをインプットしてもらってから、各チームで対話を進めていくという形式だった。
このイベントでの対話の最中、「人脈づくり」には”楽しさ”が大切であるという話があった。これが私にとって青天の霹靂だったので、ご紹介したい。
例えば、こんな話だ。
とある不動産会社の役員の50代の男性が、「最近デザインをとても学んでみたい、それを学ぶ機会を今度持ったので楽しみで仕方がない」と言っていた。
というのも、最近小中学生に対してお話する機会があり、その時に、ずっとひたすらに数字や論理の世界で生きてきた自分の言葉ではどうしてもわかりやすく伝えることができず、もっと絵とか踊りとか、子供にも分かりやすいような表現の能力が自分には必要だ、、、と痛烈に感じたそうだ。小中学生とももっとコミュニケーションが取れるようになりたい。そう思い学ぼうとされているとのことだった。
その話を聞いて思い出したのが、先日私の友人の20代男性が言っていた話だ。
彼は自身で会社を経営しており、経営者仲間に連れられてゴルフを始めた。確かに様々な世代でプレイできるし知り合えるし、ラウンドを周っている時間も長いから多くの話をすることができるのは、彼の会社に良い影響を与えているとのことだった。だが、彼がそれを話す時の表情はかなり曇っている。その理由を聞いてみると、なるほどという内容だった。
「いや、ゴルフ嫌いなんだよね。嫌いなものを目的のためにやらなくちゃいけないって、必要なこととは思いつつすっごくストレスなんだよ。結構本当にしんどい。」
と。
この2人の話に共通するのは、”楽しさ”が自身の精神状態に大きな影響を与えているという点だ。
私もかなり身に覚えがある。
大勢の人の中でかわるがわる会話を進めるのは大の苦手だし楽しめる要素がゼロだが、対象者が固定している「対話」自体はとても好きだし楽しいのだ。
実際、StrengthsFinderの上位、つまり強みには「親密性」を持っていたりもする。
「社交性」と「親密性」、なんだか同じじゃないかと言われるような言葉かもしれないが、以下のように若干異なる。
「親密性という資質を持つ人は、他人との緊密な関係を楽しみます。目標達成のために友人と努力することから、大きな満足感を得ます。」「社交性というテーマを持つ人は、知らない人と出会い、自分を好きになってもらうのが大好きです。見知らぬ人と打ち解けて親しくなることから満足感を得ます。」
—StrengthsFinder
ああなるほど、と。
私は大勢と会うことを全て「人脈」の構築というカテゴライズをして自らにストレスを強いていたが、「対話」の構築だとカテゴライズしたらそこまで嫌でもないかもしれないなと。
いつも組織開発の仕事をしていて、お客様の組織の一人一人のモチベーション調査などしている時にもその”楽しさ”という感覚は組織で働く上でとてつもなく大きな力を発揮している、そんな状況をよく見る。
スキルが云々というより、最高に楽しんで働くことができている人、チームの方が圧倒的に結果を出すのだ。
マッキンゼー社の調査で、”楽しさ”にまつわる面白い調査がある。
人の動機付けをする事柄には6段階あるという話だ。
上から2つ目以降は、以下のような項目だ。所属する組織のことを考えたときに、なるほどと思う方は多いだろう。
2.社会的意義
3.成長可能性
4.心理的圧力
5.経済的圧迫
6.惰性
さて、この一番高次の動機づけは何か。
それがまさに”楽しさ”なのだ。
1.楽しさ
2.社会的意義
3.成長可能性
4.心理的圧力
5.経済的圧迫
6.惰性
最終的な結論として、”楽しさ”だなんていう感覚が一番高次の動機づけだということに驚かれるかもしれないが、想像してみてほしい。周りに、何はともあれ日々最高に楽しそうに働いている面々はいないだろうか。(ちなみに、そういう面々にお話を伺うとワクワクして仕方がない)
、、、自分の仕事でその”楽しさ”の大切さを認識していたのにも関わらず、やはり自分のことになると途端にわからなくなるよな、と昨晩のイベントのあとは正直心の中で苦笑していた。
大嫌いな「人脈」の構築ではなく、大好きな「対話」の構築である、と考えると、
こんな自分でも大勢と話せるかもしれない、そう思ったのだ。
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