“個性”への挑戦。




自分らしさ。個性。

そんな言葉がいつも目に飛び込んでくる。
電車に乗って広告を見ても、スマホでニュースを見ていても、多分ほぼ毎日だ。

それは私がそんな言葉を意識しているのかもしれないし、もしかしたら本当に世の中に「自分らしさ」と「個性」という言葉が使われすぎているのかもしれない。


例えば最近、こんな文章を読んだ。りゅうちぇるへのインタビュー記事だ。


”「僕を真似してほしいんじゃなくて、その人自身の個性を出してほしいんです。自分を理解して自分を愛してあげる。それが一番大切だから、『自分の個性を大切にして』って思って、テレビに出てるんです。それが伝わらなくなったら、僕がテレビに出る意味はない」”

 「みんなと一緒がカッコいい、という世界は変わる」りゅうちぇるが先導する“個性”の未来 (Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/feature/564https://news.yahoo.co.jp/feature/564




1991年に生まれた私は、おそらく個性という言葉とともに生きてきた。
生まれた年にはマッキーが「どんなときも。」でその人らしくあることの重要性を歌い、小学校に入ったら先生から「One for all, All for one」が大切だと諭され、中学に入る頃にはSMAPが「世界に一つだけの花」でNo.1でなくOnly oneであることの素晴らしさを世間に浸透させた。

公立の小学校を出て私立の中高一貫の男子校に入り、最初の中間試験で170人中164位という絶望的な順位をとって人生初の挫折を味わっていた私に、世間のこうした流れは「大丈夫だよ」と言ってくれているような気がして妙に安心したことを記憶している。(その後も勉学はなかなか振るわず、「この学力こそ我が燦然たる個性である」とも甘えていられないような窮地に嵌まり込んでいったが)


さて、私は現在組織開発のベンチャーで事業開発をしているのだが、組織の中でも、1on1の文化を根付かせようとしたり、コーチングを導入してみたりと、一個人に焦点を当てたようなものが増えてきており、個性が重視されるようになってきているのかと仕事をしながら感じることが多い。

ただ、そんな個性に重きを置こうとするとどうしてもチームという壁が立ちはだかってくる。
個性を活かそうとすればチームとしての運営がどうしても難しくなってくるし、チームの運営をスムーズに効率よくしようとすれば個性を押し殺してしまうことも多い。
自身の所属する少人数のベンチャーを立ち上げ時からやっていても思うところであるし、とりわけ、組織が大きくなればなるほど、そのバランスを取ることは困難を極める。

「どうしたらもっと1人1人が生き生きとしたチームが作れるのだろうか」
そんなことをつらつらと思っている去年の終わり頃、私は南アフリカへの旅に誘われた。


南アフリカといえば、アパルトヘイト、日本語だと人種隔離政策と呼ばれているが、白人が黒人に強制労働を強いた政策で、世界史の教科書には絶対に載っているものだ。アパルトヘイトの終結時はまだ3,4歳くらいなのでその存在は歴史の授業でしか知ることがなかったが、どうやらアパルトヘイト後、この国はネルソン・マンデラによって「虹の国」つまり人種の壁を超えて協奏し合う国を作ろうとしたらしい。

その結果がどうなったかはその時知らなかったが、聞いた瞬間にはたと、その姿はまさに個性を活かしたチーム作りの理想形なのかもしれない、、、そんなことを思って、私は今年の3月、南アフリカに飛んだ。


此度、こうして30日間に渡りブログを記すことになったのはそんな南アフリカに一緒に行ったうちの1人、世羅との会話の中から生まれた企画である。それぞれの個性をもっと自身の中で具体化するために、、、などなどブログの開始背景を話したような気もするが、基本的に思いつきだ。


正直、どうなるかわからない。どちらかが挫折するのか、どちらとも挫折するのか、奇跡的にどちらも書くことが大好きになるのか、ただ、互いに個性と向き合う組織開発の世界にいる20代として、日々の気づきを記しながら、我々自身の個性に対する挑戦を、今夜始動する。

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