「ありのまま」現象は人から本質を奪っていく
数年前、『アナと雪の女王』という映画の"Let It Go"という曲が流行りました。
こちら、日本語訳だと「ありのままで」となっています。
日本でもこの曲が流行っていたことを考えると、多くの人がこの歌詞に共感したのだなあと思われますが、最近ですと結構こういう「ありのまま」現象(私がこう呼んでるだけですので悪しからず)が多いような気がしています。
■ナチュラルメイクブーム
■オーガニックブーム
(ちなみに、オーガニック野菜(有機野菜)が健康に良いと言われていますが、無農薬とはまた違います。添加物は入ってないけど、農薬は入ってるよ、というなんとも言えない絶妙なポジションのまま、この映像のように「オーガニックな旅」などと言葉が使われています)
■シンプルな生活ブーム
さて、これらのような「ありのまま」現象、言い換えると原点回帰とも受け取れるような事柄が多くなっていますが、果たしてこれらは本質的なのでしょうか。
さて、この現象を茶の世界に話を変えてみましょう。
茶の世界の中には、花が存在します。いわゆる「茶花」と呼ばれるものですね。
いけばなの場合、よく「生ける」という言葉を使いますが、茶の世界の中では「入れる」という言葉を使います。
というのも、いけばなにとって花は作品なので、その花を集めて改めて創作者の意思や想いを与え、自己表現をしようとします。
逆に、茶にとってはあくまでもそのままを表現することが求められ、創作者の独自性は特に必要とされていません。普段ある、そのままなのです。
日本の古くからある芸術においては、全てこの「ホンモノよりもホンモノらしく」という考えを根底に持っています。
これは世界中で流行っている『マインドフルネス』や『禅』などを想像していただくとわかりやすいかもしれませんが、無駄を全て徹底して削ぎ落として、あえてシンプルに、抽象的表現をすることで逆にそれ自体の本質を表現しようとする、それがこの「ホンモノよりもホンモノらしく」です。皆さんも学生時代に国語や現代文などで勉強した和歌や俳句も、まさにそれにあたります。
花に話を戻しますと、このような思想が根底にあるので、自然にある状態、それこそが最も美たる姿なのだ、というのが茶の湯の世界の中での花の在り方です。
ここで大切なのは、自然な状態、ありのままの状態が素晴らしいものだということではなく、その自然な、ありのままの状態の中に存在する本当に美しい部分・本質的な部分・根本的な部分、本質が大切だということです。
「見た目じゃなくて気持ちなの♩」みたいに言うとチープに聞こえますが、その人・物の中で一番素敵な部分を活かす、それが「ホンモノよりもホンモノらしく」を発現させると言うことにあたるのです。
さて、改めて話を「ありのまま」現象に戻しましょう。
こういったブームというのは、えてしてみんながやってるから自分もやる、人がそれを求めているから自分もやる、そういう思想が生まれた時に"ブーム"足りえます。
では、そこに上記のような本当に美しい部分・本質的な部分・根本的な部分を見出すことができているのは全体の何%なのでしょうか。そして、それを見出すだけではなく、それに価値を感じて自分に何かしら活かすことができている人はどれくらいいるのでしょう。
単に「ありのまま」という言葉の表面から受け取ることができる良さを自分の状態に当てはめて、『ありのままって素敵だよね!』と言うことに、考えることにどれくらいの価値があるのでしょうか。
別に自分がそれをできているとは思いませんが、
「ホンモノよりもホンモノらしく」考え表現できるような自分で在りたいなとは、強く強く思うのですよね。
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